9年半の母の在宅介護が、母の死で終わりました。
4日前の午前1時頃に、母は私と夫に見守られながら逝きました。
最後の4年4ヶ月は寝たきりで、365日24時間の自宅での介護でした。
重度の認知症なので、反応も言葉もなくて虚しい介護と言えます。
なかなかミキサー食を食べてくれない時は、とても酷いことを言いました。
晩年はとにかく食べてほしくて、怒って苛立ってばかり。
介護にいっぱいいっぱいで、時には母の死を望んだこともあります。
自由になりたいと何度願ったことか。
でも実際に介護が終わると、喪失感と後悔と感謝と母への愛しさで
心が張り裂けそうです。
ケアマネさん、往診の先生、訪問看護師さん、訪問入浴のスタッフ、
口腔リハビリのSTさん、たくさんの方にお世話になりました。
兄夫婦の協力は一切なく、ひとりで介護ができたのはチームの皆さんの
おかげだと感謝しています。
介護を全くしなかった実家のある葬儀会場で、兄が喪主となり最期の
お別れをしました。同じ県内の片道車で1時間の2隣り先の市です。
母は遺骨となり、やっと長く住んだ実家に戻りました。
父の死後実家をおわれ、引き取って介護をし、母の死を看取った私の元に
残ったのは、小さな手元供養用の骨壺に入った母の遺骨です。
手元供養のお骨は当然、骨揚げ後の最後の最後に残ったものの中から
選んだものです。それも仕方ないけど口惜しいです。
今、母の使っていたベッドや布団、パジャマ、吸引器、オムツ、食べていた
ゼリーなどたくさんのものが、とても愛しくてなりません。
とびきり優しい娘になれたのは、最後の一週間だけでした。
もう少し最後の時間があったら、もっともっと優しくできたのに。
今は悲しくて苦しくて寂しくてなりません。
みんなのコメント
0件さち
2022/12/20ゆめさんへ
こちらのトピックスをご覧になられているでしょうか?
いつも励みになるアドバイスやコメントを頂戴し、感謝しています。
ゆめさんは本当に長い間、大好きなお母様に心のこもったお世話を
なさっていて、あたたかくお見送りになって、尊敬するとともに、
改めてなかなかできることではないと感じています。
コメントから、とてもつらいお気持ちがうかがえ、私も心が痛みますが、
お身体は大丈夫でしょうか・・・?
大変な時に誠に申し訳ないのですが、お母様の在宅介護時、
それでも在宅介護を選択して良かった!と思えるエピソードがあれば
教えていただきたく、メッセージを書いています。
こちらは毎日、予想を上回ることの連続で、ひとりの時に
こっそり泣いたりしていますが、ゆめさんの今までのコメントに
励まされながら、気持ちを立て直し立て直し、在宅介護を続けています。- さち2022/12/21
ゆめさんへ
ゆめさんのメッセージに毎回、元気をいただいています。
ありがとうございます。
ゆめさんのお話が分かりやすく、心にすっと入ってくるんです。
こんな素敵な娘さんを育てられた、ゆめさんのお母様も、
やはり素晴らしい方でいらしたと思います。
いつも甘えて質問ばかりですが、嬉しい報告もできるように、
出来ることを続けていきたいです。
介護はなかなか大変ですが、私は幸せで、ゆめさんをはじめ、
色々な手続き等で「はじめまして」の方々に親切に対応して
いただいています。
介護の中、お話が上手で温かいゆめさんに出会えて、
私も優しい人になりたいと思っています。
厳しい寒さが続きますが、ゆめさんやご家族様に、
心和むことがいっぱい訪れますように! - ゆめ2022/12/21
さちさんへ
いつでもメッセージをくださいね。
私の経験がお役に立てたら、今までの介護が報われます。
母のことを思い出すので、私も幸せで穏やかな気持ちにもなれます。
ひとりで泣かないで、さちさんのことを見てる人はいますよ。
無理をしない程度に頑張っていきましょう。
みー
2022/12/11ご愁傷さまです。お力落としのないように。
時に感情的になった日があったとしても、ずっととびきり優しい良い娘だったよ。
長い間お疲れ様でした。凄いなぁと思いました。
私も母親が亡くなり10年は泣いて暮らしましたが、20年以上経って今は平穏な気持ちで思い出せるようになりました。時間がかかるのは仕方ない。誰より自分のことを心配し思ってくれる人を亡くしたんだから。今でも寂しいし後悔もありますが、悲しませてくれる良い母に育てられたことにただ感謝しましょうよ。
どうか旦那様のご両親がいらしたなら優しくして欲しいです。
いつかゆめさんのお母様を一緒に看取ってくれた旦那様と穏やかに話せる日が来ますよ、きっと。
父と義父母を看取り今ゆっくり暮らしています。優しかった母や義母と同じようにはいかないけれど、喧嘩した男連中(父と義父)も懐かしく寂しく思います(笑)。義姉は若く病気をして介護には携われずいつも「ごめんね」と繰り返していました。渦中の時はそう思えない時もありましたが、元気で人に尽くせるのは恵まれていることだと学びました。
介護が終わり52歳で介護福祉士になりました。頑張っているご家族の力になれるよう私も頑張ります。- ゆめ2022/12/11
みーさんへ
優しいコメントをいただき、涙が止まりませんでした。
母が亡くなって12日目に、レンタルの介護ベッドや掛け布団や車いすなどを
返却しました。居間の隣の部屋でした。
返却までの間、母のベッドで、母の布団と枕で、母のパジャマを抱いて寝ていました。悲しくて寝付けず、何度も目が覚めました。
場所をとっていたベッドは今は無くなって、自分の2階の部屋で寝るようになり
ましたが、母の着ていたパジャマは洗えないままです。
夫の両親は二人とも15年以上前に、病院で亡くなりました。
自宅での葬儀でしたが、田舎のしきたりや風習なのでしょうか。
使っていたお茶碗を割り、使っていた布団はすぐに処分されました。
それを見ていたので、母の亡くなったベッドに寝るのは不謹慎で非常識なのかと思いましたが、娘が「故人を悼み偲ぶのは、こういうことじゃないの。
おばあちゃんも喜んでいると思うよ」と言ってくれました
食べないから死ぬのではなく死ぬのだから食べないことに、早く気がつくべきでした。飲み込めなくて苦しそうにしていたのに、食べることを無理強いしてしまいました。申し訳なくて、可哀そうなことをしたと後悔しています。
最後の夜はやせ細った母とベッドに横になり、いっぱいありがとうと
ごめんなさいとお母さん大好きだよと言いました。
いっぱい顔や手を撫でて抱きしめました。最期は夫と一緒に看取りました。
長い寝たきりの苦しみから解放されて、これで楽になれてよかったねと思う反面、遺された私の方が寂しくて悲しくてなりません。
悲しみが癒えるまで、長い時間が必要なのですね。
いつかみーさんのように前向きに頑張れたらいいのですが、まだまだ食べれず眠れず泣いてばかりでいます。
あたたかい言葉を、ありがとうございます。
さち
2022/12/2ゆめさんへ
謹んでお母様のご冥福をお祈り申し上げます。
お母様、ゆめさんがいつも一番近くにいらして嬉しかったと思います。
ゆめさんのお言葉から、お母様への愛情がひしひしと伝わってきます。
こちらのトピックスをはじめ、ゆめさんの投稿で、私は
両親のかけがえのなさや大切さに気付かされました。
私も介護の新たなステージを迎えましたが、ゆめさんの介護時の
気持ちや行動を読んでいたので、自分なりにですが優しく接している
つもりです・・・。
ゆめさんのコメントを読んでいなかったら、介護がつらいということに
ばかり頭が行ってしまったと思います。
もう他のことはなるようになれ!の心情で(それはそれでまずいのでしょうが)、
不安がる母に優しく寄り添うことを第一に考えたいです。
ゆめさん、お母様の介護の事を投稿して下さって、本当にありがとうございます。- さち2022/12/3
ゆめさんへ
大切なお母様を見送られた大変な時期に、私にまで
お心遣いをありがとうございます。
本当に睡眠だけでも確保できたら、翌日からまた
復活できるのになあと思います。
親の命に関わる選択を委ねられるのは、心に堪えますね・・・。
9年半もの長い期間、頑張り続けたゆめさんとお母様を
見守ってくれたパートナーさんは、本当に温かな方ですね!
それこそ優しさあふれる寄り添いだと思いました。
「親の老後をみるというDNAはない」というお話、
初耳でしたが興味深かったです。
だとすると、介護をする人はみんなそれぞれ
新しい道の開拓者ですよね!
「秋晴れのきれいな青空」は、お母様からゆめさんへの
感謝と贈り物のように感じました!
今日、気付いたのですが、私が介護する家族は、
自分の弱いところ、できないことを知られるのが
人一倍つらい性格のような気がしました・・・。
「手を貸すよ」と言うと「いい気になるな」と返ってくるので、
接し方を工夫しなければと思っています。
今は私に対する当たりの強さよりも、親切にして下さる
医療・介護に携わる方々への失礼な態度に、心が痛いです・・・。
ゆめさんが掛けて下さった「自分を大切に、許容範囲内で」も
心のお守り袋に入れさせていただきますね。 - ゆめ2022/12/3
さちさんへ
さちさんの温かい言葉に、胸が締め付けられて涙が溢れてなりませんでした。
こちらこそ本当にありがとうございます。救われました。
私のトピックスやコメントは、私自身のためでした。
自分の思いをどこかに吐き出さないと、あまりの苦しさや悲しみにどうにか
なりそうだったからです。自分の気持ちを整理するために必要でした。
介護中も今も睡眠剤がないと眠れません。
何度も言いますが、介護は心身を疲弊させる過酷なものです。
大切な親の命を預かっていることは、大変なプレッシャーにもなります。
コロナ禍で熱でも出されると、たくさんの方に迷惑をかけると気が気では
ありませんでした。
常に母を優先して考えてしまい、夫にも申し訳ないと思ってきました。
人間には子どもの面倒はみても、親の老後をみるというDNAはないそうです。
昔は親は早死にだったので、遺伝子にプログラミングされていないとか。
理性の力だけでやろうとしているのだから、介護を担っている人はすごい人。
誇りに思ってもいいことだそうです。誰か著名人の言葉です。
私はこの言葉を支えにしてきました。でもDNAに組み込まれていない介護は
きれい事ではなく壮絶です。
気持ちは常にポジティブになればネガティブになるの繰り返しです。
このまま母の介護が続いていたら、私は母を道連れにどうにかなっていたかも知れません。
母はそんな私の気持ちを察して、秋晴れの青空のきれいな日に自らの意志で
逝ったのではないかと思います。
さちさん、決して無理をしないでください。
自分を大切にしながら、許容範囲内で優しく寄り添う介護をしてください。
お守りは、いつも持っていてくださいね。
私はさちさんをいつも応援しています。
コメントをありがとうございます。
繰り返し。
次男嫁
2022/12/1うちも、9月に義母を亡くしました。
兄夫婦は全く手出しせず、口も出さず。好きに介護をさせてもらいました。義父は文句ばかりですまとまな介護もできないままでした。亡くなったときには、誰にも連絡もつかず。翌朝やっとつながった電話で、なぜすぐに知らせなかった!と怒られ、連絡したけど?ととても冷静になりました。
なぜ5年も顔さえ見に来なかった義父が喪主なのか?
私はなんだか腹も立つけど、実の息子がもういいんだっていうので、何も言わないことにしました。
喪失感はあるけど、自由もたっぷり戻ってきた。子育てに戻れました。
夜泣きの子をおんぶしながら吸引した夜。今となってはいい思い出。
寝たきりで、話すこともできず、管がいっぱいのばあちゃんだったけど、子どもたちには大切な家族の一員でした。
楽になれたね、良かったね。でいっぱいです。
介護生活が、いい思い出になるといいですね。
ご冥福をお祈りします。- ゆめ2022/12/2
次男嫁さんへ
お義母さまの介護をされて看取られて、頭が下がります。
自分の親でも大変なのに、それも子育てをされながらとは。
5年も顔さえ見に来なかった義父が喪主である口惜しさは、私の兄と全く同じ
です。
兄は9年半の間に母に会ったのは、4年前に誤嚥性肺炎で入院して余命1ヶ月と
宣告された1日だけですから。
痰の吸引、苦しむ母に謝りながら私もよくしました。
私宅に来ればいつもいるひいおばあちゃんが、11歳と9歳と6歳のひ孫たちの
大切な家族の一員だったことも同じです。「学校よりひいおばあちゃんの方が
大事」と学校を休んで葬儀に来てくれました。
本当に母はよく頑張ってくれました。きっとその頑張りは私のためだったのだと思います。
次男嫁さんのように、いつか介護生活がよい思い出になると思います。
コメントをありがとうございます。
ビセンテ
2022/11/30自分も3月に母を亡くしました。誤嚥性肺炎による呼吸不全で、最後は静かに息を引き取りました。そして医師による死亡宣告、むちゃくちゃ辛かったです。その後で上司に連絡した時ずっと我慢してきた涙腺が一気に崩壊しました、何度も自問自答しました。介護士としてもっと母に何かやれたんじゃないか、もっと強引にでも早く入院させていれば、でも母を看取った事で息子として最後の親孝行したかなと今では思ってます
- ゆめ2022/11/30
コロナ禍の今、病院でも施設でも面会制限があり、親を看取ることは
難しいことです。連絡を受けても間に合わなかった話も聞きます。
私は在宅でたくさんの言葉かけをし、いっぱい手や身体に触ることが
できました。昔好きだった歌謡曲をかけたりもしました。
在宅介護は本当に心身をすり減らすほど大変でしたが、
今は大切な母を看取ることができて、とても幸せだったと思います。
ビセンテさんもお母さまを看取られることができて、親孝行されたと
思います。コメントをありがとうございます。
ふーん
2022/11/30お疲れ様です。必死に頑張ってきましたね。文面から感じ取れるには、お兄さんは陰で支える面倒な事は貴女に全て任せて、
いざ母親が亡くなったら廻りの手助けがあるものを取り上げる。どこの家でも起きます。
大変な時は知らぬ顔で、人前に出ていい格好をみせる兄妹達。
本当は、こんな思いをする事がないように出来た介護保険。
今の状況では貴女のような人は報われない制度です。
辛いけど、お母さんに心配かけないように前を向いて一歩踏み出しましょう。
認知になり分からなくなったと書いてありましたが、認知症になった人は時々、我に返る事があります。お母さんは貴女が一生懸命やってくれたのを知っていますよ。- ゆめ2022/11/30
母は93歳で、アルツハイマー型認知症と診断されて15年たっていました。
私が引き取った時は、まだ歩けて自分で食事もできて、話すこともでき、
少しの理解力もありました。最期は新生児のようになって逝きました。
この9年半、母の病の進行の様子、生きざま、そして死にざまを目のあたり
にしました。
これが母の最後の子育ての、集大成だったのかも知れませんね。
ふつつかな娘でごめんなさいの気持ちですが、少しづつ前を向いて行こうと
思います。コメントをありがとうございます。
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