今回は、株式会社三英堂商事が運営する「家族の家ひまわり狭山」(埼玉県狭山市)で施設長を務める田中規秀さんに話をお聞きしました。高校を卒業して排水管清掃員と大工を経験。その後、大手企業で訪問入浴サービスに従事し、三英堂商事へ転職。「現場勤務を経て責任者となった今、理想の施設をつくり上げることに力を入れたい」と未来を見据えています。

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Profile 施設長 田中 規秀さん

排水管清掃員や棟上げ大工を経て、ヘルパー2級(現・初任者研修)の取得後に介護業界へ。大手介護事業所で訪問入浴サービスに従事するも、「入浴介助以外の仕事にも取り組んでみたい」という思いから施設への転職を考え始める。その後、三英堂商事の求人に応募。介護士として現場で汗を流し、50歳を前に「家族の家ひまわり狭山」に施設長として着任した。

経歴
1988年4月~ 高校を卒業後、排水管清掃の仕事に就く
1996年~2005年 棟上げ大工として勤務
2006年~2012年 訪問入浴サービスの仕事に従事
2012年~ 三英堂商事に入社
長所 おおらか
短所 無計画なところ
趣味 ボードゲーム・音楽鑑賞
特技 人とのコミュニケーション

父の病をきっかけに介護の必要性に気づく

以前のお仕事について教えてください。

地元の学校を卒業後、最初は水道会社でマンションの排水管や高架水槽の清掃員として働いていました。その次は、木材加工と住宅施工の会社で大工になりました。

私は棟上げ専門の大工をしていて、「上棟が終わったら次の現場に向かう」ということを繰り返していました。室内を仕上げていく造作大工と違ってスキルが身につくことはなかったのですが、とにかく給料は良かったです。

当時は周りの友人たちより多くのお金を手にしていました。稼いだお金で毎晩飲み歩いたり、趣味のバンドに没頭したりしていましたね(笑)。大工を辞めるなんて、当時は考えもしなかったですよ。

なぜ大工を辞めようと思ったのですか?

バブルが弾けて会社に施工依頼が入らなくなったんです。当時は結婚したばかりだったのに、給料は下がる一方。「このまま今の仕事は続けられないかも」と焦りましたね。そんな矢先、父が脳梗塞で倒れました。漠然と介護の必要性を感じた私は、相談した妻に「介護を仕事にしてみるのもいいんじゃない?」と言われ、転職を決意しました。

職人一本で働いてきたから、最初は介護の知識も技術もありません。でも、自分は新しいことには前向きに取り組めるタイプなので、大きな不安は感じていませんでした。ただ当時、「介護は資格が必要な仕事」というイメージを持っていましたので、ひとまずヘルパー2級(現・初任者研修)を取っておこうと思い、業界大手が運営する教室に通いました。

教室を運営していた会社が介護事業も行っていたため、「うちで働きませんか?」と声をかけられて、そのままエスカレーター式に入社しました。そこでは訪問入浴のサービススタッフとして働き、入浴介助を行っていました。

入浴介助って、割と力が必要な仕事ですよね。でも、大工をしていた自分は腕っぷしには自信があったので、利用者さんの移乗や浴槽設備の運搬で苦労は感じなかったです。

  Before After
雇用形態 正社員 正社員
業種 建築 有料老人ホーム
職種 大工 施設長
勤務時間 8:00~17:00(残業1時間) 9:00~18:00
休日 日曜 月休10日のシフト制
仕事内容 家屋の骨組形成(棟上げ) 施設の運営・管理

大手企業を退職して転職しようと思ったのはなぜですか?

入浴以外の生活のお世話をしてみたくなったからです。施設での勤務に興味を持ちました。勤めていた大手企業も施設を運営していましたが、どうせなら新しい世界に飛び込もうと思って退社しました。

利用者からもらう感謝の言葉には、重みがある

今の職場を選んだ理由を教えてください。

実は、当時務めていた大手企業を辞める前に離婚したんです。それで、私は都内に引っ越しました。今勤めている「家族の家ひまわり狭山」は、子どもが暮らす家に近かったので、仕事終わりに会いやすいということで選びました。また、オープニングスタッフを募集していたことも、リスタートを切るのにいい機会だと思ったのです。

結果的に、配属先は自分の住んでいた都内の家から近い「家族の家ひまわり一橋学園」になりました。狭山の方は、応募者がいっぱいになってしまったのです。子どもと会いにくくはなりましたが、一橋学園もオープニングスタッフとしての募集だったので、リスタートを切るという意味では問題ないと判断しました。

入浴介助以外のケアを経験してみて、どんなことを感じましたか?

日常のあらゆるシチュエーションで、利用者さんとかかわりを持てるようになりましたね。「ありがとう」と言われる回数が増えたので、以前よりやりがいが感じられるようになりました。

やや感覚的な物言いになりますが、介護を受ける人からいただく「ありがとう」の言葉には、感謝の気持ちがすごく込められていると感じます。もちろん、どの仕事でも人とかかわれば「ありがとう」と言われますが、なんだか形式的な場合が多い。でも、この仕事はそうではないんです。「感謝の重みが違う」とでも言いましょうか。おそらく多くの介護従事者が感じていることだと思いますよ。

マネジメントの仕事にはほかにない魅力がある

施設長としての仕事内容を教えていただけますか?

簡単に言いますと、「運営方針を打ち立て、それに基づいてマネジメントを行いながら、施設の円滑な運営を目指すこと」です。

人材に関するマネジメントは、施設長の重要な任務です。採用面接から始まり、個々の能力を見極めたうえで人員を配置します。介護の現場を支えるのはスタッフですから、彼らが働きやすい環境と制度の整備もしなければなりません。また、現場で問題が起こっていないかをスタッフからのヒアリングによって把握し、改善するべきところにはメスを入れていきます。

運営母体となる三英堂商事は「企業」です。当然企業は利潤を追求しなければならないので、利用者さんをいかに増やして事業利益を獲得するかも重要です。これについては施設長の腕の見せどころで、営業メンバーと相談しながら、利用者需要のありそうなところで施設のPRをしたりします。また、紹介会社から情報を受けて、利用者さんの受け入れに努めます。

これらのほか、本社との連携、事務処理、コンプライアンスの啓蒙、建物や施設の管理など、仕事は多岐にわたります。

現場勤務のときと比べて、働き方は変わりましたか?

今もシフト制ですが、外部との折衝や調整といった施設長の仕事は、平日が忙しくなるんです。やりとりする会社は週末が休みですから、それにあわせて私も土日のどちらかはお休みをもらっています。

ほかに変わった点といえば、デスクワークが圧倒的に増えたことです。現場はやっぱり体力勝負ですが、今は頭脳労働といったところでしょうか。正直、現場で働いているときは、机に張りついて仕事をするなんてイメージできませんでした。しかし、やってみると意外と楽しいことがわかりました。

人材管理は難しい面も多い一方で、こちらの思いがスタッフに伝わったときや採用した人材が仕事を楽しめるようになったときなどは、理想の施設に向かって一歩進んだ感じがしてやる気が出ます。マネジメントって奥が深いので、取り組んでみるとのめり込んじゃいますね。

お休みの日はどのように過ごされていますか?

若い頃のように、バンド活動ではしゃいだり、飲み歩いたりすることはなくなりました。今はかなり落ち着いていますよ。趣味のボードゲームを楽しんだり、音楽を聴いたり。バンドは辞めてしまいましたが、当時から聴いている音楽のジャンルは変わっていません。こう見えて洋楽のパンクロックが大好きなんです(笑)。あとは、犬を1匹、ネコを2匹飼っているので、じゃれあって過ごしています。

現在は夜勤がないので、20時くらいには帰宅します。自由時間をゆったりと過ごして、翌日に備えるようにしていますね。

よりよい運営のためにスタッフの待遇改善が必要

施設長になるまでの経緯を教えてください。

私はもともと介護業界にいたことから、三英堂商事でも主任候補として採用されました。利用者さんの生活のお世話をしつつ、シフト調整もしていましたね。

主任候補からすぐ主任になり、その後、施設長になったわけですが、ずいぶんと時間をかけてしまいました。実は会社からは施設長の打診を受けていたのですが、現場で利用者さんとふれ合うことが楽しくて、やんわりと断っていました。

3回目の打診で引き受けようと思ったのは、年齢的に50歳近くなっていて、現場の仕事が体力的に厳しいと感じることが多くなってきたからです。それと、3回も断るのは会社に申し訳ないという気持ちもありましたね。それで話を引き受けて、施設長として「家族の家ひまわり狭山」に異動しました。

施設長になった当時はいかがでしたか?

前任者と私の運営方針は違っていました。かねてより私は、できる限り利用者さんを受け入れて施設の経営状態を良くすることが良い施設づくりには不可欠だと思っていました。ですから、利用者さんを積極的に受け入れるつもりでした。

しかし現場のスタッフは、「利用者さんが増える=仕事量が増える」と考えているので、私の方針が受け入れ難かったのです。ましてや私は別の施設からの異動者です。そこで、まずは自分の方針を理解してもらえるよう、現場に多く足を運び、スタッフとコミュニケーションを交わして気持ちを伝えて回りました。その間もなるべく利用者さんを受け入れてきましたが、方針の理解が得られなかったスタッフは退職してしまいました。

思い返せば、最初の半年近くは、マネジメントうんぬんよりも、方針の理解活動と信頼関係の構築に奔走していた気がします。理想の施設をつくるための足固めですね。

足固めが進んだ現在の施設状況をどう考えていますか?

おかげさまでほぼ満床です。「家族の家ひまわり狭山」は、三英堂商事が運営する介護付き有料老人ホームの中でも一番大きい施設です。しかし満床までのハードルは高く、課題を抱えていました。しかし、その状態は解消されつつあります。

マネジメント担当として結果を出したと思っているので、本社に対してもスタッフの待遇改善や人材補強について堂々と提案していきたいと考えています。残念ながら世間のイメージでは「介護の仕事は給料が安い」と思われています。事実、他業種と比べても高いとは言えません。でもだからと言って、安いままでもいけないと思うのです。

スタッフが今以上に介護の仕事に誇りと楽しさを感じて、豊かな生活が送れるようになれば、本当の意味で良いマネジメントの仕事が達成できたと言えるのかもしれません。

田中さんの今後の目標について教えて下さい。

まずは、施設の安定経営です。その後は、人材を採用して、利用者さんにもっと手厚いケアを実践できる体制をつくりたいと考えています。あと、皆が働きやすくなるルールづくりも必要だと考えています。なんだか、やりたいことがいっぱいですね。

現在はスタッフとも信頼関係が築けていると思っているので、皆で知恵を出し合って、施設のレベルを高めていくつもりです。

これから介護職を目指す方に向けて一言、メッセージをお願いします。

介護の現場では、接した利用者さんが翌日に亡くなるというようなケースも珍しくありません。そうなったとき「きちんと向き合うべきだった」と後悔することがあってはいけません。だから、利用者さんと接するときは常に真剣勝負。仕事に対して真剣になっているから、感謝の言葉をいただけたときにうれしさで胸がいっぱいになるんです。

「家族の家ひまわり狭山」について申しますと、この施設は、今まさに生まれ変わろうとしている段階です。まだまだ改革も必要。皆さんもがんばり次第で施設を大きく変えるメンバーになることができます。「努力は報われる」を実感できる職場なので、これから見えてくる新しい景色を私たちと一緒に眺めませんか。

撮影:公家勇人

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