埼玉県さいたま市の「さわやかグループホームさいたま」(運営:東電パートナーズ株式会社)へお邪魔しました!施設長・加納正崇さんが今回のゲストです。若い頃はプライベートを重視し、派遣の働き方をチョイスしていた加納さんですが、40歳を過ぎて正社員として介護士にキャリアチェンジしたそう。「介護の仕事を通して就労観が大きく変わった」とのお話に興味津々。一体何があったのでしょうか?

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Profile 施設長 加納 正崇さん

関西の大学卒業後、地元・埼玉へUターン就職。精密機器メーカーでの営業職などを経て、派遣での働き方にシフト。複数の職場を経験し、43歳の時に介護職へとキャリアチェンジした。登山とガーデニングが趣味のアクティブな54歳。

経歴
1991年〜1997年 精密機器メーカーの営業職、冠婚葬祭業で葬儀運営などを経験
1997年〜2011年 派遣社員として素材メーカー等で勤務
2011年10月 東電パートナーズ株式会社へ入社
長所 気長、穏やか
短所 細かい点を気にしない
趣味 登山、ガーデニング
特技 写真撮影

仕事よりプライベート派!趣味を謳歌した30代

まず、これまでのご経歴を聞かせてください。

関西の大学を卒業後は、地元である埼玉県に戻ってきました。20代のうちはメーカーや冠婚葬祭業の会社で勤務していましたが、30代は工場などで派遣社員として働いていました。43歳で介護職へキャリアチェンジすることを決意し、現在の職場である東電パートナーズ株式会社に入社したのは2011年のことです。

       
  Before After
雇用形態 派遣社員 正社員
業種 メーカー グループホーム
職種 製造工 施設長・介護士
勤務時間 9:00〜18:00 シフト制
休日 土日祝 月8日のシフト制
仕事内容 製品の製造 管理業務、介護業務

30代で正社員から派遣へと働き方を変えたのには、何か理由があったのですか?

私は学生の頃から写真が大好きで、新卒入社した精密機器メーカーもカメラを扱っていたから選んだほど。けれど、人事へカメラ好きというアピールを散々したのに、残念ながらまったく違う部署に配属となってしまいました。部署異動も望めないような組織体制だったため、働くモチベーションが続かず、結局2年程度で退職したという経緯があります。

この時「仕事と趣味は切り離して考えるべきもの」という価値観が私の中で生まれました。仕事は生活のためと割り切り、あくせく働くのはやめようと。余暇を充実させた人生を送ることを決め、派遣という自由度の高い働き方を選びました。

プライベートではどのように過ごされていたのでしょう?

カメラのほかには登山が好きなので、休日はよく泊まりがけで山に出かけていました。日本三百名山と呼ばれる山々があってね。この300の山のうち、215くらいは登ったかな。海外旅行にもたくさん行ったし、訪れた先々で写真を撮って、趣味に没頭する30代を過ごしました。

加納さん1

楽しそう!うらやましい生き方です。

特に登山は体力が必要ですから、たとえば定年後に登頂しようと思ってもチャレンジできない山がたくさんあります。体が動くうちにやりたいことはすべてやり切って、人生に後悔はありません。

ただ、これぞまさに「アリとキリギリス」のキリギリスの生き方。真似する場合はよく考えてからにしてくださいね(笑)。

現在はまた正社員としてお勤めですよね。雇用形態への考えが変わったきっかけは?

派遣という働き方をやめようと決めたのは、東日本大震災があった2011年です。震災の影響で電力不足となり、当時勤めていたメーカーの工場も稼働がストップしました。結果、派遣で働いていた私のような人間が真っ先にリストラの煽りを食らってしまって。

それまでは「楽かどうか」といった基準で職場を選んでいましたが、自由と引き換えに生じる非正規雇用の不安定さを痛感したというのが大きなきっかけです。

介護の現場でガラリと変わった就労観

転職先に介護職へ目を向けたのはなぜですか?

ハローワークで、介護職員初任者研修の職業訓練の紹介を受けたんです。生活支援の給付金を受けながら無料で学校に通えて資格まで取れると聞き、なんてお得な制度だろうかと(笑)。介護の仕事がしたい!といった特別な思い入れもありませんでしたが、まぁ別に良いか程度のごく軽い気持ちで、さっそく研修へ通うことにしました。

職業訓練修了後は、実習先の1つだったご縁で東電パートナーズに入社を決めました。転職して11年の間に、グループホーム2ヶ所の勤務を経験しています。

加納さん2

お仕事をはじめるまで介護のご経験は?

まったくありません。だから驚きの連続でした。

まず洗礼を受けたのは、職業訓練がスタートして早々のことでしたね。授業中、訪問ヘルパーの仕事の再現ドラマを観たんです。“ヘルパーが利用者さんのご自宅に行って目にしたのは、ポータブルトイレの中に溜まった3日分の排泄物だった”というお話でした。私だけでなく、教室中が「えーっ?!信じられない!」なんて悲鳴の嵐でしたよ。

介護未経験の場合、やはり排泄介助にはためらいを感じてしまいますよね。

もちろん研修内で排泄介助の勉強はしますが、紙オムツ交換の手順を学ぶだけですからね。練習用人形を使用したり、介護者・被介護者の役をクラスメイトと交代で演習するだけで、直接、排泄介助を行う機会はありませんでした。

これから働き始めた時、ドラマと同じようなシーンに遭遇したらどうしようと不安でいっぱいになってしまって。うまくやれる自信なんて1つもないまま研修を修了しました。

介護士として実際にケアの現場に入ってみていかがでしたか?

グループホームに配属された初日、さっそく寝たきりのお客様のオムツ交換をする機会を得ました。実地でやったことはないし、隣では指導役の先輩が私のケアの様子を見ているしで、頭の中は大パニックです。

汚い・くさいなんてネガティブなことを考える余裕すらなく、任せられた目の前の介助を完遂させることで頭がいっぱい。全身汗びっしょりになりながら無我夢中でケアを行い、気がついたら終わっている…。そんな体験をしてみて、予想もしなかった自分の必死さに驚きました。

加納さん3

介護の仕事に対する姿勢なども変わりましたか?

めちゃくちゃ変わりましたよ。一番の変化は、眠っていた「負けん気」に火が付いたことです。

今だから笑って話せますが、転職当初の私は本当に劣等生だったもので(苦笑)。ほかのスタッフなら10分程度で終わらせるような簡単な作業も、私がやると30分以上かかることはしょっちゅう。交換したオムツはすぐにズレて、漏れるような量でもないのに汚してしまうことも多々ありました。

他業界からの転職組だし仕方ないといえばそれまでなんですが、周囲に対する申し訳なさと不甲斐ない自分への悔しさから、ケア技術を磨くためにたくさん努力をしました。

どのようにスキルアップを図ったのですか?

私がよくやっていたのはタイムトライアルです。入室から退室までの時間を計って、綺麗に丁寧に、かつ素早く介助するというのを徹底して練習しました。

先輩にお願いして、ケアの様子を見学させてもらうこともありました。自分と先輩の動きを比較して、何が違うのか・どこを改善すれば良いのかをよく観察しながらね。

そうやって工夫しているうちに、当たり前に介助ができるようになってきたのがとても気持ちよく感じられて病みつきに。達成感を得られると同時に、転職前に持っていた「排泄介助なんかイヤだな」といった負の感情もゼロになっていきました。

転職前と比べると「就労」すること自体への意識が大きく変わったように思えます。

そうですね。働く上での「向上心」という欲が生まれたように感じます。先輩がベテランばかりだったため、目標となる人が周囲にたくさんいたのが良かったのかもしれません。環境に恵まれたなと感謝するばかりです。

また、自分の年齢も大きく関係しています。当時すでに40代でしたから、もう後がないといった焦りと、今度こそ定年までがんばらなければという決意にあふれていました。介護業界で勤め上げると決めたなら、人並み程度のスキルと知識を身につけておかないと恥ずかしいじゃないですか?もう手を抜いてはいられない。そんな覚悟があったように思います。

モチベーショングラフ

自身も年齢を重ねたからこそ、お客様の気持ちに寄り添える

勤務先である「さわやかグループホームさいたま」について教えてください。

当施設に入居されているお客様は、認知症の高齢者の方です。1ユニット定員9名が2フロアあり、少人数制の家庭的な雰囲気のもと、料理・掃除・散歩・買い物など日々の活動を通じて、その人らしく暮らしていけるように日々サポートしています。スタッフ数は20名程度で、正社員のほか、派遣の方に働いてもらっています。

加納さんのお仕事内容はどういったものですか?

お客様の身体介助や生活支援といった介護士としての業務のほか、4年ほど前から施設長を勤めています。お休みは週2日あり、夜勤には週1日程度入っています。

転職前後のスケジュール

54歳になられた今、働き方で変化を感じることはありますか?

夜勤などはしんどいなと感じることが増えました。40代のうちは夜勤明けでも数時間仮眠をとった後、遊びに出かけるくらいに元気だったんですが、今はもう絶対無理(苦笑)。

私はお客様と触れ合う介護士の職務が好きなので、現場から離れることは考えられません。だからこそ、上手に体調管理をして、いかに長く今の仕事を続けられるかというのが目下のテーマです。

50代60代で介護の仕事を始める場合、ご自身の年齢を不安視される方も多いと思います。ぜひアドバイスを。

自分が50代になって感じるのは、介護職において年齢はマイナス要素ばかりではないということです。若い頃と違い、思うように体が動かないもどかしさを自分も体感していることで、共感力の高いケアができるのではないでしょうか。

私も40代の頃は「がんばればもっとできますよ」と、相手にハッパを掛けるような声がけが多かったですからね。体力の衰えたお客様にとってはありがた迷惑な励ましだったんじゃないかと反省しています。

その点、今では「できるところまでで十分ですよ」「無理しないで大丈夫」のように、相手に寄り添った言葉を選べるようになりました。もちろん、年齢に関係なく自然とこういった対応ができる方はいると思いますが、私の場合は自分で経験しないと分からなかった。一方で、若い方にはそのような心の変化を伝えることで、お客さまの気持ちを理解する手助けもできるようになりました。いくつになっても、学びと気づきを与えてもらっています。

加納さん4

これまでのお仕事と介護職を比べて、最も違いを感じる点はどんなことでしょうか?

命を預かっているという責任の重みでしょうか。

程度の差こそあれ、グループホームのお客様は認知症を患っておられますので、ご自身の心身の状態を的確に言い表せないケースも多いです。そのため、私たちスタッフは、皆さんの変化に常に気を配っておく必要があります。

そんな中、相手の体調不良を見落としたせいで事故が起き、もしもその方が寝たきりになってしまったら?ちょっとした自分の不注意が、誰かの人生を狂わせる可能性すらあるのが介護の仕事です。施設長という立場になってからは、お客様だけでなくスタッフの様子にも気を配る必要があり、責任感・緊張感といった面ではこれまでの比ではありません。

言葉でのコミュニケーションが難しい分、気をつけなければいけないことは多そうです。

私がお客様と接する際に意識しているのは、自分本位にならないことです。ケアでも何でも、介護者の思い込みで勝手にどんどん進めてはいけません。こちらが良かれと思ってした行動も、お客様は「そんなことして欲しくなかった」と思っているかもしれない。

だからこそ介護士は、お客様の目線・表情・態度などを注意深く観察して、相手の気持ちを汲み取る姿勢が必要なのです。

加納さん5

誰もがハッピーに働ける職場づくりで後進を育てたい

加納さんのこれからの目標を教えてください。

私の夢は、この施設で一緒に働くメンバー全員に、毎朝「仕事に行くのが楽しみ!」と思ってもらうこと。職場内にほんの少しでも「仕事イヤだな…」と感じるようなマイナス要素があれば、施設長としてそれを取り除く努力を続けていきたいです。

世間では「介護の仕事はつまらない・つらい」といったイメージが根強いですよね。けれど私はこの職場で心から楽しく働いていて、転職して良かったという想いでいっぱい。一人でも多くの介護職の方が私と同じように感じられるように、理想の職場環境を追求していこうと思います。

最後に、介護業界を目指す方へメッセージを!

未経験の世界へ飛び込むことに、不安やためらいを感じている方は多いと思います。でも、楽しいこと・うれしいことをシャワーのように体験できるのが介護の仕事。最初はできないことばかりで当たり前です。私たちの持つ知識や経験を惜しみなくシェアしますから、安心してチャレンジしてみてください!

求職者へメッセージ

撮影:丸山剛史

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