「歩け歩け」「外に出ていこう」がポリシーの認知症施設がある。オランダに学ぶポジティヴヘルス
介護ジャーナリスト・小山朝子氏による寄稿【2022年 オランダからの報告】前編に続く後編では、通訳、コーディネート、執筆業として活躍するシャボットあかねさん(以下、シャボットさん)へインタビュー。
シャボットさんは、1974年からオランダに在住。
オランダの安楽死の歴史と同じくらいの年数をこの地で暮らしてきた。
「安楽死」や「ポジティヴヘルス」をテーマとした著作があり、本インタビューの前半は「安楽死」、後半では「ポジティヴヘルス」についてお話を伺った。
緩和ケアがありながら、安楽死の数は減っていない
日本はまずネガティヴリストの尊重から始めるべき
シャボットさんの持論は「安楽死は自分が決めた時に安らかに死ねるという保証になり得る」。
彼女の著作の一冊『生きるための安楽死 オランダ・「よき死」の現在』(日本評論社)には、安楽死の要請が認められたことが支えとなり、複数メダルを獲得するという功績を残したパラリンピック選手の事例などが紹介されている。
2021年オランダで安楽死をした人のなかで最も多い病気は癌だったが、心や体のつらさに対する緩和ケアの質が向上しても安楽死の数は減っていないという。
それは自分の死は自分で決める、つまり自己決定の望みをもつ人が増えているからではないかとシャボットさんは分析する。
「オランダでは『安楽死を実施してほしい』『緩和鎮静を始めてほしい』といった、何かを要請するポジティヴリストには医療提供者が拒否する権利があるが、『心蘇生はしないでほしい』といった、何かをしないでほしいというネガティヴリストに関しては、必ず守らなくてはならない義務がある。
日本の場合、安楽死の議論に入る前に、まず患者の自己決定の出発点であるネガティヴリストの尊重から始め、それから安楽死などのポジティヴリストの議論に進むべきではないか」と自著で提案している。
筆者自身の体験では、例えば、手術や検査を行う前に十分な説明がなされず、医療提供者に慌ただしく同意書の提出を促されたことが幾度となくある。
日本の医療現場ではいまだ患者のネガティブリストやポジティヴリストの確認すらなされず、治療の選択は医療提供者から言われるがまま、という場面が多いと感じる。
健康とは家族や専門職の言いなりになることではない
オランダ発「ポジティヴヘルス」とは?
インタビュー後半では「ポジティヴヘルス」について伺った。シャボットさんが現在注力しているテーマだ。
シャボットさんは自身の著作『オランダ発ポジティヴヘルス 地域包括ケアの未来を拓く』(日本評論社)で、ポジティヴヘルスとは、「社会的・身体的・感情的問題に直面したときに適応し、みずから管理する能力としての健康」と訳している(彼女の著作では、あえて「ポジティヴ」という表記を用いている)。
ポジティヴヘルスは「定義」ではなく、「コンセプト」(概念)だ。
両者の違いについてシャボットさんはこう説明する「AはBであり、AはCではないというのが『定義』です。
それに対して、A、B、C、D、E、Fのすべてでシェアされているのが『コンセプト』だと言えます」。
ポジティヴヘルスは以下の6つの柱で構成される健康の概念だ。
- 身体的機能
- メンタルウェルビーイング
- 生きがい
- 生活の質
- 社会参加
- 日常機能
ポジティヴヘルスの概念を成立させ、現在指導者的存在として活躍しているオランダの女性医師マフトルド・ヒューバーは6つの次元を6軸とし、各々0~10までの点数で自分の状態を把握するのに役立つ「くもの巣」と呼ばれるツール(レーダーチャート)を考案した。出典:iPH(Institute for Positive Health)提供の図を基に作成、シャボット氏訳 更新
これは健康状態を評価するツールではなく、その人にとって何が大切かをつきとめることができるツールで、医療提供者と患者のコミュニケーションの糸口になっている。
本人が自分にとって大切なこと(生きがい)を発見するまで、医療提供者は方向づけすることなく、患者の言うことにひたすら耳を傾ける。その人にとって何が大切かを探り、何ができるかに目を向ける。
ポジティヴヘルスでは、病気であっても、体に不自由なところがあってもその状態に適応できていれば健康という考え方だ。
自分自身の健康に関して家族や専門職の言いなりになるのではなく、自分が決める方向に向いてもらおうという、周囲も巻き込みながらの自己決定的な意味合いが強い。
地域住民をも巻き込む究極の地域包括ケア
「歩け歩け」「外に出ていこう」がポリシーの認知症施設
シャボットさんは、インタビューでポジティヴヘルスの具体例を紹介してくれた。その中でとくに印象に残ったのが『TanteLouise』だ。
TanteLouiseはオランダ南西部にあり、14の介護施設、ホスピス、リハビリテーションセンターを有する組織だ。
利用者には「できる限り自分のことは自分で行う」「地域生活に参加する」「必要な支援を受けながら自宅で暮らし、それが無理ならホームに移る」というスタンスを基本にしている。
シャボットさんは、同組織が運営する認知症の人が暮らす介護施設『Verpleeghuis Hof van Nassau』についても紹介してくれた。
「この施設では、徹底して『歩け歩け』『外に出ていこう』というポリシーが実践され、フロアには転倒防止のセンサーなど、テクノロジーが多く使われています。
動くことのリスクより、動かないことのリスクに目を向け、利用者は施設から出て地域と関わりを持ちます。
施設を出た地域にも、認知症の人に対する接し方の訓練を受けた多くのボランティアがいます」
認知症の人をケアするのは大変な努力と技術を要するが、一般の地域の人を認知症のケアに巻き込むには努力のみならず工夫も必要だろう。シャボットさんは自著の中でこう記している。
「オランダの地域レヴェルでは、『拡大近所』とでもいえる、住民同士が顔見知りになるチャンスのある地区が見直されている。
地区としての疾病予防、ヘルスケア、教育やお金・労働の問題も取り組む福祉・社会的な企業が、それぞれの自由と工夫を確保しながらも関係をもちあうネットワークとしてひとつになろうとしている。
地区のネットワークが地域のネットワークにつながり、それが次の地域につながって、ネットワーク群のどこかで輝くアイディアや実践から学び合い、助けあう……。
これこそ究極の地域包括ケアではないか(中略)。
経費削減と予算抑制のためだけに地域包括ケアを推し進めるのではなく、市民のニーズに対応するケアを、細切れにならない形で市民主導で実現するには地域が最適だと、積極的に歓迎すべきだろう(中略)。
日本もポジティヴヘルスの地域包括ケアネットワークに仲間入りしてほしい」
厚生労働省では団塊の世代が75歳以上となる2025年を目途に、要介護状態となっても住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生の最後まで続けることができるよう、住まい・医療・介護・予防・生活支援が一体的に提供される地域包括ケアシステムの構築を実現するとしている。
しかしながら、「自分らしい暮らし」の実現に必要なのは上記の要素だけではない。
認知症になってもできるだけ住み慣れた自宅で暮らし続けたいという望みを実現するには、大人も子供も含めた近所の人や近隣の商店の協力も必要だろう。
そのためには教育やソーシャルエンタープライズ(社会的企業)を巻き込んでの取り組みが望ましい。
認知症の人がひとり歩きをしていて川の近くや家の近くの側溝で亡くなるといった事故が起きている昨今では街路の整備など建造環境にも目を向ける必要がある。
地域包括システムはきれいに図表化できるものではない。
そういう意味ではオランダのヴァイタリティに富んだポジティヴヘルスの活動から学べるヒントは多いといえる。
ポジティヴヘルスは日本に根付くか
オランダでポジティヴヘルスが進展したのは政府の後押しもある。
予算上昇抑制になる「自助・互助」の思想は財政赤字を抱える同国の政策と合致したようだ。
シャボットさんによると、ポジティヴヘルスはヘルスケアに限らず、福祉、教育、食品、スポーツ、ソーシャルエンタープライズ(社会的企業)、サーキュラーエコノミー(循環経済)などにも関わっているという。
ポジティヴヘルスについて「コンセプトが広すぎる。これは人生全体についてであって健康についてではない」との批判があったが、ヒューバーが行った研究に参加した患者からは「健康は全人生通してすべての面と関係がある」との意見があったという。
オランダでは一大ムーヴメントとなっているポジティヴヘルス。その源となるのは「これをしたい!」という個人の意志だ。
創造性やイノベーション(革新、新機軸)が活発化すれば、日本においてもポジティヴヘルスが広がる可能性はあるだろう。既存の組織、形式、考え方に囚われない市民による取り組みが各地で創出されることを期待したい。
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2020年9月7日 制定