
2015年7月8日、千葉地裁において、殺人事件ながら執行猶予付きの温情判決が下されたとして記憶に新しい事件があります。
被告は、2014年11月、足腰の痛みを訴えていた妻(当時83歳)に頼まれ、ネクタイで首を絞めて死亡させたとして嘱託殺人の罪に問われた夫(93歳)。
裁判官は、「60年以上連れ添った妻を自ら手にかけることを決断せざるを得なかった被告人の苦悩を考えれば、同情を禁じ得ない」として、執行猶予付きの判決を言い渡しました。
介護疲れが原因とみられる親族間の虐待や殺人事件は後を絶ちません。最も身近にいて、固い絆によって結ばれているはずの家族を殺めてしまう。介護者の心身が極限まで追い詰められてしまった結果招かれた、また相手を思いやるがゆえのつらい現実です。
日本福祉大学 湯原悦子准教授の調査によれば、介護疲れが背景にある60歳以上の親族が被害者になった殺人事件は、平均して年間40件。過去17年間に起こった発生件数は、少なくとも672件に上るといいます。
こうした悲劇の多くは「在宅介護」に疲れ果てた末に発生している点に注目する必要があるでしょう。
そこで今回の特集では、介護殺人の背景にある「在宅介護」を取り巻く厳しい現実と、家族が不幸にならない本当の意味での「在宅介護」のあり方を模索したいと思います。
介護がもたらす悲劇の殺人をなくすために、介護者に求められるサポートとは?
介護疲れが原因とされる殺人事件は毎年20件以上…。加害者に男性が多い理由とは?
ニュースを見聞きする度に心が痛む、親族による「介護殺人」や「介護心中」。年間にいったいどれくらいの件数起こっているのでしょうか。
実は、介護疲れが原因とみられる親族間殺人に関する公的な統計が発表されるようになったのは、2006年以降のこと。それ以前にももちろん介護事件は起きていたわけですが、近年、やっと注目されるようになったということでしょう。
現在は、厚生労働省が2006年4月に施行された「高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律」に基づき、被介護者が65歳以上で、介護している親族による虐待等により死亡に至った事例数を発表しています。
ただし、被介護者が65歳以上に限定されており、実際にはそれよりも若い世代にも起こっていることや、あくまでも自治体で把握している事件のみがカウントされているので、現実には発表値よりも多くの事件が起こっているものと推測されます。

2013年度には21件の死亡事件が発生していますが、その詳細は「養護者による被養護者の殺人」が12件、「養護者の介護等放棄(ネグレクト)による被養護者の致死」が6件、「養護者の虐待(ネグレクトを除く)による被養護者の致死」が2件、「心中」が1件となっています。
被害者の性別は男性6人、女性15人で、年齢は70~74歳が8人、80~84歳が6人、75~79歳が3人、85~89歳が3人、65~69歳が1人。加害者の性別は男性16人、女性5人であり、続柄は多い順に息子13人、娘4人、夫3人、妻1人でした。
2013年度に限らず、加害者は圧倒的に男性が多くなっています。
世話を焼いてくれていた妻や母親が要介護状態になれば、男性は介護だけでなく慣れない家事もこなさなくてはならず、心身の疲れが出やすい。
仕事以外で社会とのつながりが希薄であれば、誰にも相談できずに孤独感を味わいやすい。
率直に愛する家族を苦しみから解放してあげたい、という究極の愛情などから過ちを犯しやすいのでしょう。
前科・前歴のない高齢者でも「殺人」を選択…。凶行に走ってしまう、その心理状態とは?
警察庁の統計(2013年度)によれば、高齢者と高齢者以外の殺人の動機として顕著に違いが見られるのが「介護・看護疲れ」の割合です。

高齢者以外の殺人で「介護・看護疲れ」が動機とされる割合はわずか2.7%なのに対し、高齢者では19.7%となっています。
さらに詳しい調査によれば、親族間の殺人における高齢加害者の多くは、前科・前歴がなく、「介護疲れ」や「将来を悲観」して、配偶者や親、子どもを殺害する初犯者であると考察されています。
長年、社会に貢献し、まっとうに暮らしてきた人が「介護」という壁にぶち当たると、一転、犯罪者になってしまうことがままあるわけです。
普通は介護疲れなどのストレスが重なって「殺したい…」と思う瞬間があっても、なんとか踏みとどまります。最悪の事態を招いてしまったケースでは、加害者はどんな心理状態に陥っていたのでしょうか。
日本福祉大学・湯原悦子准教授の調査によれば、事件を回避できなかった理由として、「認知症・寝たきりなどの被介護者の病気」「不眠や食欲不振など介護者の体調悪化」「世帯の経済的困窮」などがあると確認されています。
ひとつずつであれば乗り越えられたかもしれませんが、困難が積み重なるとどこかでタガが外れることがあるのです。
また、高齢であれば、先がそう長くないことを理由に「死」を選択しがちです。

介護者にうつが見られるケースも少なくありません。健康な精神状態であれば何らかの対処方法を検討できるのでしょうが、うつによって前向きな思考が奪われ、「死」を強く意識してしまうのです。
現在、介護者がうつ状態の可能性が否定できない場合、ケアマネージャーなどの支援者はケアプランの見直しによって負担を軽減する、他の家族に働きかけて介護者に受診を促すなどの取り組みを行っています。
しかし、支援者はどれくらい真剣に介護者に向き合っているか定かではありませんし、介護サービスを利用していなければ、気づくことすら難しい現状があります。早急に、介護者のうつを発見する仕組み作りが求められます。
住み慣れた家が「介護殺人」を生む? 在宅介護が抱える問題とは?
家計負担、精神的な負担、そして肉体的な疲労…。厳しい在宅介護の実情が殺人を引き起こす引き金にも
介護殺人のほとんどが、「在宅介護」の元で起こっていることが分かっています。
政府の方針は在宅介護体制の推進一辺倒ですが、現状の在宅介護システムが(机上の空論でなく)大きく改善されない限り、家族の負担は軽減せず、「介護殺人」もなくならないのではないでしょうか。
現在の介護保険制度では、家族が献身的に介護を続けたところで報酬はありません。家族への給付は悪用が懸念されるという建前で、実際のところ支払う財源がないのは皆さん知るところでしょう。
しかし、在宅介護は予想以上にお金がかかるものです。
早朝や深夜を含む1日の介護料、おむつ代、入浴サービス料、バリアフリー改装費など、すべて公的の介護サービスを利用したらとんでもない額になります。
それを無償で行わなければなりません。
一部だけ介護保険サービスを利用するにしても、在宅サービスはヘルパーや医師、看護師が自宅を訪れるとあって、施設サービスに比べて基本的に割高です。
また、未だに家族の介護は他人には任せられないという考えを持つ介護者も多く、介護保険サービスを利用しない家庭も少なくありません。
こうして介護者の負担が大きくなれば、場合によっては離職に追い込まれることも。
そうすれば生活は立ち行かなくなり、将来を悲観してしまうのも無理のない話でしょう。
安倍政権が掲げる「介護離職者ゼロ」は実現するのか?在宅介護推進策には、未だ高いハードルが…

「介護離職ゼロ」については、10月7日に安倍晋三首相が打ち出した「新三本の矢」のひとつに掲げられました。
施設整備を中心に、年間10万人前後で推移する介護離職者を2020年代の初頭までにゼロにするという目標ですが、具体的な中身や工程は明らかにされず。
コスト面でのハードルは高いと思われ、実現の道筋はまだ見えないと言わざるを得ません。
在宅介護にはこうした金銭面での余裕のなさが根底にあり、さらに介護の精神的・身体的な疲れが日々上乗せされて、介護者は追い詰められていくのです。
これ以上介護によって不幸な結末をもたらさないためには、介護サービスを上手に活用して、介護者は気を休める時間を少しでも持つこと。
そして、介護によって仕事や自分のための時間をゼロにしてしまわないことが大切です。
そのためにも、今後さらなるヘルパーならびに地域サービスの充実が欠かせません。
介護はゴールの見えないマラソンのようなもの。
介護者は達成感を得るのが難しく、ひとりで背負い込んでしまうと生きる気力さえ奪われかねません。
「うまく介護できない…」と介護者は自分を責めがちですが、家族が行う介護は、知識や技術を求められているわけではありません。
夫として、妻として、子として、親として、相手を尊重して寄り添う心を大切にしてほしいと願います。
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2020年9月7日 制定