「介護対談」第42回(後編)田中公孝さん「医師は介護の困りごとなどを理解しないと、円滑な連携はできない」

「介護対談」第42回(後編)ノンフィクション作家の中村淳彦さんと田中公孝さんの対談田中公孝
ぴあ訪問クリニック 三鷹の院長。2009年に滋賀医科大学医学部を卒業後、2015年に医療福祉生協連家庭医療学開発センターにて家庭医療後期研修を受ける。医師として病院に勤務するうちに、介護と医療との連携の課題に気づき、訪問診療に特化したクリニックを開設。現在は東京都三鷹市を中心に武蔵野市、小金井市などの周辺地域にて訪問診療を行っている。介護・医療・地域のフラットな関係性の構築を目指し、積極的に活動を行う。次世代の介護リーダーを育成するコミュニティHEISEI KAIGO LEADERSには運営メンバーとして参加。
中村淳彦中村淳彦
ノンフィクション作家。代表作である「名前のない女たち」(宝島社新書) は劇場映画化される。執筆活動を続けるかたわら、2008年にお泊りデイサービスを運営する事業所を開設するも、2015年3月に譲渡。代表をつとめた法人を解散させる。当時の経験をもとにした「崩壊する介護現場」(ベスト新書)「ルポ 中年童貞」(幻冬舎新書)など介護業界を題材とした著書も多い。貧困層の実態に迫った「貧困とセックス」(イースト新書)に続き、最新刊「絶望の超高齢社会: 介護業界の生き地獄」(小学館新書)が5月31日に発売!

取材・文/中村淳彦 撮影/編集部

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医師は介護の困りごとなどを理解しないと、円滑な連携はできない(田中)

田中先生が開業されている三鷹、武蔵野地域は、昔から環境のいい住宅街として有名で、人気の高い地域です。住民に地元愛もあるだろうし、東京の中では地域づくりが比較的しやすい地域とだ思います。地域包括ケアシステムは三鷹、武蔵野地域ではうまくいっているのでしょうか。

中村中村
田中田中

医師会が「医療介護連携をしましょう!」と旗振り役になったことで、すでにある程度の大きな流れはできていました。地域の大病院も地域との「連携は大切」という意向があって、何回も会合が開催されています。地域ケア会議にも医師が参加しています。いい流れはありますね。

前編では、分断していた医療側と介護側が対話をして、お互いの理解を深めていくべきという話でした。特に、介護が医療側のニーズを把握することが早急に必要とされていると。

中村中村
田中田中

医師側のニーズを介護側が掴み、理解する。逆に医師と看護師は介護の困りごとなどを理解しないと、円滑な連携はできません。先日、典型的なエピソードがあって、嚥下障害の方の介助を3食やるとなったとき、担当する介護職の方々が「いつ自分が窒息させるかわからない」とかなり不安がって、もし詰まらせたらどう対処すれば?と、聞いている場面に遭遇しました。

そうでしょうね。命がかかわってくるし、経験や知識がなかったら不安しかありません。

中村中村
田中田中

サービス担当責任者の方が、どうしたらいいの?と嚥下に詳しいドクターに相談をしていましたが、医師からは緊急携帯があるから電話する、掃除機を口に突っ込むととれることもあるなど、緊急時の対処方法を伝えていました。そのことを知っているか知らないかで、介護職の方の疲弊感が違ってくる。やはり医療と介護が日常的に情報交換することは大切ですね。

無資格未経験の人材を続々と介護業界に入職させているので、医療の人たちが思っているより何も知らない人は多い。血圧を測り、言われた時間に薬を飲んでもらう…それがルーティンワークというのが普通で、医療的なことを教えてもらう機会は少ない。

中村中村
田中田中

最近は医師会で症例検討会を始めていて、地域ケア会議はケアマネさんだったり、事業所の管理者だったり、医療職だけではない集まりになっています。そういう場所で一つの事例を通して、「こういうところを気をつけるべき」、「介護職はなにが不安なのか」みたいなことを議論しています。難しいケースの対応だったり、コツみたいなことを普及させるための取り組みですね。

高齢者の在宅不安を支えることは、介護にますます求められている(田中)

地域包括ケアがはじまって、もう高齢者の入院を減らす流れになっているのでしょうか。

中村中村
田中田中

最近感じるのは、入院させないのではなく、退院を早くさせるということ。前だったら1カ月間くらい入院していた患者さんも、治療が終わったので1週間で退院とか。80歳、90歳で病気になると、高齢のため手術や化学療法など積極的な治療ができないケースもある。そういう方々も病院ではなく、自宅で過ごされる流れになっています。

病院は治療があれば受け入れる。けど、退院は早い。あとは地域でみてください、と。今までは病院に集積された患者が地域で暮らすとなると、医療介護の関係者は病気に詳しくなるのは当然、住民にもある程度の知識が求められますね。隣に今までの入院患者が暮らしているわけだから。

中村中村
田中田中

最近あったケースでは、足が壊死していく重篤な状態で、手術もカテーテルも無理という方がいました。はじめは普通に考えて入院すると思ったのですが、家族が自宅看取りを希望されて、すぐに退院でした。その日は11時くらいに救急搬送されて、17時くらいには自宅に戻られましたね。

今まで入院していた人が在宅となると、介護の役割は本当に変わってきますね。重症の方がたくさんいるとなると、報告や観察を怠ったら簡単に死んじゃいそうです。

中村中村
田中田中

ガンの方もそうですし、寝たきりの方とか。それとリハビリ病院を経てもADLが改善しない状態で退院するケースもあって、そうするとバトンタッチを受けた地域のデイケアが重要になってきます。

今まで病院が抱えた役割を、早い段階で介護にバトンタッチして継続することを求められるわけですね。

中村中村
田中田中

やはり介護側もリハビリへの意識を持ってもらうことが大事ですし、それと医療側のニーズでもある病状の報告は、場合によっては生死にも直結する重要なことです。連携して早急にできるようになって欲しいです。

今まで介護は「おじいちゃん、おばあちゃんに優しく、豊かな生活」みたいなことが言われてきた。けど、医療の補助みたいな役割が重要になってくると、今までとは全然違います。

中村中村
田中田中

豊かな生活を支えるというのも、在宅では実際にそういう一面はあります。けど、一方では病院を退院し、在宅で過ごすことが不安で仕方ない高齢者が増えている。遠方に親族がいる場合は、近くに家族もいません。高齢者の在宅不安を支えることは、介護にますます求められています。

病状によってシナリオが違うということを知ってもらいたい(田中)

たまに前向きに介護に取り組む若い職員で、利用者の大好きなおじいちゃんが亡くなってショックで何日も立ち直れなかった、みたいなことを聞きます。あきれたというか。死んじゃうのは仕方ないし、普通のことなのに。

中村中村
田中田中

人間の死亡率は100パーセントです。介護の方って想いをもって仕事する方が多いので、自分の作ったイメージと、やればよくなるという期待が行き過ぎるのかなと思いますね。その人、その人にシナリオがある。よくなっていくシナリオもあれば、悪くなって最期はどう安心して、穏やかな看取りになるかというシナリオもある。

医師のシナリオが介護職に共有されていないのですね。亡くなって悲しいみたいなことは、もちろん理解できる。けど、「立ち直れない」みたいな状態は行き過ぎ。終末期の方々とかかわる介護には向いていないと思うし、そういう感情を持つことが同調圧力までになってしまった場合、もうマイナスしかないですよ。

中村中村
田中田中

この方はリハビリで上昇を目指したほうがいい、この方は看取りだから食事量、痛み、息苦しさなどを観察して変化があれば往診医に連絡した方がいいなど。私は医師として方針はわかりやすく出しています。今うちにいる看護師は施設経験もあるので聞いたのですが、自分のせいで利用者さんの容態が悪くなったんじゃないかと、泣いてしまう介護士の方もいるという話は聞きました。

なにがあってもおかしくない看取りのシナリオの中で、死に自責を感じてしまうと精神的に持たないですよ。意識を変える必要がありますね。

中村中村
田中田中

なので、一人で抱え込むのはよくなくて、どんどんコミュニケーションの場に出てもらって、在宅患者さんは病状によってシナリオが違うということを知ってもらえると。私がそういう介護職の方とお会いできれば、仕方なかった面もあるとか、次はこういう工夫ができるとか、お伝えすることはできます。

延命治療をしてまで寿命を伸ばすかどうかは家族で考えておくべき(田中)

だいぶ前から一部の医療従事者だけでなく、一般社会からも高齢者の延命治療をやりすぎじゃないか?という声が出ています。社会保障縮小という流れの中で、死の問題はこれから噴出しそうな雰囲気があります。

中村中村
田中田中

私が研修医を始めた頃、まだ「やれることは全部してください」という意向が多かったですね。それで80歳、90歳の高齢者に心臓マッサージして、ボキボキと肋骨が折れてしまったり、管を入れて繋ぐことで脳死状態といったケースも経験しました。あと胃ろうを認知症の末期の方に作って、本人さんはずっと宙を見ているだけとか。そういうケースがまだまだ多かった印象はありますね。

そういう状態になることを理解していれば、「やれることは全部して」とはならないですよね。この10年で医師や家族、本人の意識が変わってきたということですか。

中村中村
田中田中

延命治療は明らかに減っている印象があります。例えばあるご家族で、初めて看取りを経験したおじいちゃんのときは、延命治療を希望されたのですが、その経験から延命治療はよくないと思われたようで、次のおばあちゃんのときは「延命治療は嫌です」とお話されていたケースもありますし。エンディングノートだったり、死についての啓発が進んだことも理由でしょう。

死について考えようという情報は、確かにだんだんと増えていますね。僕も自分の死については考えますし、ガンで亡くなることは決して悪いことではない、ということも最近知りました。

中村中村
田中田中

親戚や知人が亡くなった、おじいちゃんおばあちゃんが亡くなったってとき、自分だったらどうしよう、自分の親がこうなったらどうしようって考える機会はもっと増やしたほうがいい。実際に私のまわりでもそういう話をもっと早く聞きたかったとか、エンディングノートはどこに売っているのか、とか。シニアの方からそんな声が多いですね。

戦後生まれの前期高齢者層は、「人の命は地球より重いみたいな」ことが言われていた時代。その価値観のままいくと、自分自身も含めてみんなが不幸になる可能性があります。

中村中村
田中田中

自分の死が想像つかないのは、誰でもそうです。ですが、もし体中に管ついたらどうだろう、もし心臓マッサージして肋骨が折れたらどうだろうって、自分に置き換えて考えるのがいいかもしれません。自分が80歳、90歳になったとき、医療にどこまでやってもらうというのは一度考えておくだけでも全然違います。

一度も考えたことがないと死の漠然とした恐怖や、なんとなく刷り込まれた「人の命は地球より重い」みたいな価値観とか、長寿の美談などから過剰な医療を求める可能性がありますね。

中村中村
田中田中

そうですね。健康寿命を伸ばすことは意識したほうがいい。そのために地域の繋がりだったり、仕事を続けていくことが男性には大切だったり。女性の場合は、特に人とのつながりが大切だったりするので、それがあるなしでは大きく変わってきます。ただ健康寿命が途切れた段階で、延命治療をしてまで寿命を伸ばすのはどうかってことです。

本人も家族も死について考えた経験がないと、無意識に1年でも長くという選択になるケースが多いってことですね。

中村中村
田中田中

その通りです。知らない責任は国、病院、医療者側にあると思います。医師が死亡診断書を書いて死のジャッジをしますし。それでも、やはり日本で死はタブーという風潮がまだまだ残っていると感じます。どこまで情報を出していいのかという問題もあるし、今までは病院の中だけで終わっていましたが、自宅で最期まで過ごしたいと思う人が増えてきた今の時代の流れとして、我々がもっと情報を発信する必要があります。

誰でも死ぬ、死は普通のことという意識と、延命治療の現実的で具体的な情報ですよね。今日はありがとうございました。参考になることが多かったです。

中村中村
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