「介護対談」第45回(前編)平尾政幸さん「自然に反発する矛盾が今の介護の混乱を生んでいる」

「介護対談」第45回(前編)ノンフィクション作家の中村淳彦さんと平尾政幸さんの対談平尾政幸
株式会社ジイ&バー代表。東京芸術大学大学院美術学部卒業。2008年から介護業界に携わり、介護職兼美術アーティストとして活躍。「認知症は人生の終わりではありません。ボケてからほんとうの人生がはじまります! そう言える居場所を作ります」。をモットーに、認知症の方をサポートしながら美術アーティストとして輩出。「老人国家」と銘打って、老人アートギャラリー付き高齢者住宅の建設を目指している。M-1グランプリ予選に自らがプロデュースする岡田昭光と共に出場するなど精力的に認知症患者を輝かせる活動をしている。Bricolage(ブリコラージュ) 2017.冬号にて「老人国家バラエティ ボケてないってば!」が特集されるなど今後の認知症患者のアーティストとしての社会進出の一躍を担う。
中村淳彦中村淳彦
ノンフィクション作家。代表作である「名前のない女たち」(宝島社新書)は劇場映画化される。執筆活動を続けるかたわら、2008年にお泊りデイサービスを運営する事業所を開設するも、2015年3月に譲渡。代表をつとめた法人を解散させる。当時の経験をもとにした「崩壊する介護現場」(ベスト新書)「ルポ 中年童貞」(幻冬舎新書)など介護業界を題材とした著書も多い。貧困層の実態に迫った「貧困とセックス」(イースト新書)に続き、最新刊「絶望の超高齢社会: 介護業界の生き地獄」(小学館新書)が5月31日に発売!

取材・文/中村淳彦 撮影/編集部

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自然に反発する矛盾が今の介護の混乱を生んでいる(平尾)

平尾さんは埼玉県八潮市のデイサービス「もいもい八潮」代表兼管理者、実は僕と昔からの知人です。なんと介護雑誌「Bricolage」最新号巻頭30ページで「もいもい八潮」特集が組まれ、インタビュー・カルチャー誌「SWICH17年11月号」では利用者の岡田昭光氏(要介護者)が清宮幸太郎と同列の扱いでグラビアに登場。えー、超すごいって驚きました。まさか、平尾さんとこの介護対談で再会とは思わなかった。

中村中村
平尾平尾

2013年岡田さんが利用者として突如現れて、中村さんには中之条ビエンナーレで作家デビューのときに手伝ってもらいました。カリスマ風俗嬢の水嶋かおりんと最底辺歌手の原達也氏を呼んでもらって、展示会場で岡田さんと3人でライブをやったという。

原達也氏の気持ち悪い熱唱の中で、老人作家の岡田さんが水嶋かおりんにオムツ交換パフォーマンス。認知症老人が作家デビューってことで新聞記者もいたのに、カウンターをやりすぎた。主催者の方はライブ序盤で不穏になって帰ってしまったとか。まあ、原さんのせいってことで。

中村中村
平尾平尾

中村さんは介護をやっていたとき、もうずっと頭を抱えっぱなしだった。当時いろいろ相談された。結局、投げだして介護現場から逃げた。当時の介護経験をネタにした「漫画ルポ中年童貞」を出版したとき、うちの施設で利用者を集めて中年童貞の漫画の模写会をやりましたよ。

中之条ビエンナーレライブもすごかったが、「Bricolage」最新号も相当だね。目次には「すべてを失ってからはじまる」「老人介護とSM」「認知症は存在しない」など。介護を取り巻くすべてが順調にまわらなくなって、ついに時代が“野生の介護”についてきた、という印象。4年前に八潮のファミレスで話していたことが、雑誌に大々的に掲載されることに。

中村中村
平尾平尾

人間の生命エネルギーのシステムは医学でもわからない。科学でわからないので人文系が探求している。僕はその探求に一部賛同していて、毎日介護をしながら自分なりに考えが構築された。人間からは自然エネルギーが出ている。でも、現代社会は自然のエネルギーを抑えるシステム。自然に反発する矛盾が今の介護の混乱を生んでいると思う。

自由な状態をフォローしていくのが介護じゃないかと思う(平尾)

平尾さんが当時からよく言っていたのは、「老人はボケたら子供と同じように脳が小さくなっていく。それは病気ではなく、単なる自然現象」ということ。

中村中村
平尾平尾

ボケ老人からは、自然のエネルギーがでているって考え。人間は生まれて、子供時代に急激に脳細胞が増えて、大人になる。老人はその逆をたどる。自然現象として子供と同じくらいに縮小する。遺伝子レベルで自然に死ぬように作られている。それを不老不死にしようとするのが医療ですね。だから現代社会は人間の終末期、死ぬ間際がおかしいと思っている。

一般的に認知症は病気という概念で、問題行動と認定されると精神病院に入院になったりする。そこで服薬して状態を抑えることをしている。

中村中村
平尾平尾

ボケたら、せっかく野生がでてくるのに、やっていることが反対なんですよ。医療や社会が野生を強引に抑えてしまう。僕が言うのはそれを抑制しないで解放したら、介護がするべきことが明確になるってこと。わかりやすくなる。

認知症は病気ではない。もっといえば、認知症なんて存在しないし、そのままの人間ってことですね。病院になど行かずに放置しておくのが正しい在り方だと。

中村中村
平尾平尾

自由にしたほうが良い。それがうちの施設が言う“ノールール”ってことです。基本的に自由にして、自由な状態をフォローしていくのが介護じゃないかと思うんですね。それのほうが絶対にうまくいく。

医療が病気としてとらえるから、おかしなことになる。認知症老人、ボケ老人を精神病扱いするのはやめようと。

中村中村
平尾平尾

うちの場合はそのエネルギーを芸術にするって発想ですね。今は岡田さんがいて、あと何人かこれから社会に出ていきます。春男さんって方はアルツハイマーで海馬がこれ以上縮まらないってくらいだし、パーキンソン病と診断されているけど、絵を描いて電子オルガン弾いてギターを弾いていますよ。「Bricolage」最新号の表紙にも出てもらいました。

社会的なルールとか法律、常識を壊して、自然体としてそこにあるものを芸術作品として表に出していくってことですね。いつ聞いても、すごい話と思う。ちなみに平尾さんは東京芸術大学大学院で油絵を専攻、介護職になるまでずっと活動していたアーティストでした。

中村中村
平尾平尾

老人たちが発しているから、その状態を“野生の老人”と命名した。現代アートの世界ではアウトサイダーアートがやってたことだけど。認知症老人、ボケ老人の能力を特化した芸術活動という前例がなかったことと、たまたま僕が現代アートの作家だったので、それをやろうかなと。ボケ老人は芸術の才能がある。だからモチーフにもなるし、現代アートの人たちはそのサポートができる。

具体的にボケ老人のどのようなところが作品にしやすいのでしょう。

中村中村
平尾平尾

例えば同じセリフを繰り返すとか。何度も同じことを聞くとか。機嫌が良くなったり、不穏になったり感情の幅が広いとか。一般的な人間は社会的な生活を送るためにルールをつくって、それに沿って生きる。でも認知症老人、ボケ老人はそこから解放されて自由なので、それが外れている。芸術に向いている状態ですね。

正しいことを伝えるのではなく、合わせるしかない(平尾)

法律とか社会常識とか、ルールが正しいわけじゃなく、共同生活するためにとりあえず便利だから作っているだけ。ボケ老人になると自然体としてそれが取っ払われ、ルールを守りたくても記憶ができないとか、短期の記憶がなくなっちゃうから、社会的なことをやろうと思ってもできない。確かに芸術家に向いている、というのはわかる。

中村中村
平尾平尾

ボケ老人を抑えるのではなく、もっとやろう、一緒にやろうって意識でやっていくと、意外とそんなに大変なことにはならない。止めたり、止めさせようとすると逆効果になる。押すと押し返してくるから。被害妄想があって、なにか間違ったことをしても。そうじゃないって抑えると、私が正しいってなる。お金盗った、盗ってないという言い合いの中でだんだんと関係性がこじれて最悪、介護殺人みたいな。

平尾さんが一貫して言っているのは、社会は正しいわけでなく、ボケることは自然現象ってこと。「もいもい八潮」は泊まりありの小規模デイなので、開設からずっと家庭が崩壊したみたいな、状態が重い認知症老人が多かった。

中村中村
平尾平尾

例えば被害妄想で「泥棒!」と言われたとき、よくやるのは一緒に探しましょうって誘う。一緒に探しているうちに笑ったり、楽しいとか言いだしたり。重要なことは長期の記憶に保存されますが、短期の記憶ができないために間違った記憶が保存されることがあって、それが修正されない。だから正しいことを伝えるのではなく、合わせるしかない。合わせていくと。そんなに怒らないですよ。

「もいもい八潮」は介護現場を映画撮影に例えて、介護職はボケ宇宙に合わせてアドリブを演じる役者、四次元の仕事みたいなことを言っていたけど、まさにそうだよね。介護職で演じることができるのは一部しかいない。

中村中村
平尾平尾

無理じゃないですか。家族の在宅介護でも無理な人が多い。なぜ合わせなきゃいけないのってなっちゃう。簡単にいえば、知識がないんですよ。認知症介護はリベラルなインテリの人のほうができる。それは知識があるからだと思う。

一般的に認知症の人は社会から外れて、病気で苦しむ可哀想な人という認識。それが普通です。本当は社会の煩わしさから解放された幸せな状態なのに、可哀想な人として扱うのはあまりにも歪ですね。

中村中村
平尾平尾

エロの世界もインテリの人が理解あるじゃないですか。情報を持っている人はわかる。でも介護業界にはインテリの人はあんまり来ないみたいだから、うまくいっていないってこともあるにはある。反面、ピュアで熱意がある人も多いと思いますが、その人たちも微妙に歪められてしまう。それが介護業界が混乱する理由の一つですよ。

知識がないまま、言われたまま仕事をして、ストレスを溜めて爆発してしまう。それが虐待になる。

中村中村
平尾平尾

いい介護しているなと思うのは一部ですよね。その一部の人たちが増えればいいけど、やっぱり医療の壁は大きい。認知症の人は医療的にはガラクタで終わってるから、とりあえず薬出しておけばいいみたいになる。

問題行動をするなら抑制剤飲ませて、ぐったりさせてみたいな…それで姥捨て山に置いておけばいいみたいなことをしている。

中村中村
平尾平尾

殺すわけにはいかないから、その状況で留まっているだけ。だから人間としての価値は持っていない。人間としては終わりって扱い。そういう考えのほうがビジネスはやりやすい、だからそうなっちゃう。

ボケ老人は認知症ではなく、老人力がついたと考える(平尾)

平尾さんが提案しているのは、ボケ老人は認知症ではなく、老人力がついたと考えると。言葉を変えるだけで、わかりやすくなる。

中村中村
平尾平尾

老人力という考えは90年代後半に流行った。赤瀬川源平って芸術家が言いだして、「やっとボケられた」と思うのが良いと話していた。物忘れを「おっしゃることはわかります」と、仲間とお互い言い合ったりして楽しんでた感覚ですよ。喜んだわけですね。それがなぜか現代社会では病気になってしまって、薬を投与して治そうってなった。

認知症はすごくおそろしい病気みたいなレッテルは、もう社会全般に浸透している。一部、認知症の理解を進める活動家はいるけど、意識を変えるのは膨大な時間がかかるよ。

中村中村
平尾平尾

認知症になったほうが進化のプロセスとしていいんだよ、ってところを作っていかないと、本当に歪みはもっと酷くなりますよ。絶対になりたくないから拒否して、絶対に違うって言い張って、そこで間違った情報を持っている人と、認知症を持った老人の溝はどんどん深くなる。

認知症は2025年には700万人を超えると推計されている。高齢者の5人に1人で、人口の数パーセントになる。このままだと、介護殺人は止まらないよね。

中村中村
平尾平尾

芸術に向いている状態のボケ老人を現代アートにすると、その老人はけっこう尊敬される。美術だけじゃなく、あらゆる科学も人文系も芸術には敬意があるから社会的なステイタスも高くなる。作品を残すことで、また社会に戻っていく。僕は介護でそういうことをしたい、と思っているんですよ。

相変わらず、本当に面白い壮大な話です。後半は本当に認知症アーティストになった岡田昭光氏の話を中心にお聞きしたいです。

中村中村
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