言葉の定義から追求を始めた“福祉とはなにか”

福祉とはなにかということについてずいぶん考えたんですね。

1999年からグループホームをやり始めたので、2001年頃のことです。

当時はネットもないので、辞書や広辞苑で調べていたんですが、調べていくうちにわからなくなっていくんですね、福祉とはなにかということが。

そんなとき、デイサービスの頃の仲間がグループホームを訪ねて来まして、「和田さん、福祉小辞典っていう辞典を仲間と一緒に作ったんで、持ってきたんです」って贈呈しに来てくれたんです。

だから俺は「お前良いところに来たなあ、ちょうど今福祉とはなにかについて一生懸命考えてるところなんや。福祉小辞典ちょっと見せてくれ!」って見せてもらったら、“福祉とは”っていう項目がなかったんですよ(笑)。

ちょっと待ってくれと。

「お前、福祉小辞典って書いてるのに“福祉とは”がないっておかしいやんけ!」ってすごく笑った記憶がありますけれども。

僕のなかではコンビニも福祉施設

そんな中たどり着いた定義が、誰が書いていたのか全然思い出せませんが、福祉とは「人々が幸福に暮らす生活環境」って書いていた人がいたんですよ。

これが僕のなかではすごくストーンと落ちたんですね。

そうすると、福祉の仕事っていうのは医療だとか介護だとか保育だとか、そういうものだけじゃなくて、人々が幸福に暮らす生活環境として存在し得ているものはすべて福祉なんだと。

だとすると、福祉っていうのは、ある意味では人がなし得てきた到達点かなって思うんです。

「自分だけが生き残れば良い」、仮にこれを動物社会の前提だとしたら、人間っていうのはそうじゃなくて、お互いに「自分だけじゃなくて自分たちが幸福に暮らすこと」を目標として生活環境を整えていくために、福祉っていうことに行き着いたのかなっていうのが、僕のなかでの着地だったんですね。

それからもう20年ぐらいたってますけど、未だにそこは僕のなかではあんまり揺らいでなくて。

酒をもうちょっと飲みたいなあっていうときに、歩いて行けるコンビニも俺の幸福のためにある福祉施設だ!ぐらいに思っちゃうんです。

そうすると、「人々が幸福に暮らす生活環境」が福祉だとしたら、福祉の専門職っていうのはそれを整えていく専門職。つまり、人々が幸福に暮らす生活環境を整えていく専門職。

それがグループホームだったらグループホームの職員さん、あるいは特養だったら特養の職員さん、デイだったらデイの職員さんっていうふうになるのかな。

一般的に介護と呼ばれることとは大分かけ離れたところに、僕のなかでの福祉施策っていうのがある。

だから本来の福祉に立ち返ってちゃんと本流を目指さなあかんというふうに僕は思ったんです。