利用者の方に対しては、褒めるのではなくお互いをたたえる

みなさんのご意見の中にあった「利用者を褒める」ということについて、僕が感じたことをお話しします。

僕は褒めるという発想が基本的にないので言ったことがありませんが、「褒める」と聞くと、相手に対してどれだけ高いところから言っているんだと感じます。

80歳・90歳まで生きてこられた方は、僕らが知らないだけで、できることはたくさんある。

そうした「できること」に出会ったときに、「よくできたね」と褒めるっていうのは、なんとなく僕の中ではすごく違和感があるなぁ。

「褒めて伸ばす」といった言葉をうちの職員からもよく聞くんですけど、僕は褒めるのではなく、お互いをたたえることがすごく大事なんじゃないかと思うんですね。

木曜和田劇場第18回のキャプチャー1

それから、ちょっとニュアンスが違うんですけど、よく似た言葉で「役割を持たせることが大事だ」って言う人もこの業界には結構いるんですね。

以前にグループホームの全国大会で、ある方が「利用者さんにお掃除をしていただいたら、とてもいきいきしていました。やっぱり役割を持ってもらうことが大事なんですね」みたいなことを発表していたんですね。

僕はいじわるなので、その方に質問したんです。

和田「あなたはお部屋が汚かったら、どうしますか?」

発表者「掃除します」

和田「それは役割ですか?」

発表者「いや…汚いからするんです」

和田「そういうことですよね」

と、そんなやり取りがあったんです。

やっぱり暮らしの中で必然的なことは、役割だからやるというよりも、必要だからやる。

やらなきゃ生きていけないからやるのに、立ち位置が変わると、途端に「役割を持たせることが大事」と思ってしまう。

これについては、少し考え直してみてはどうかなと思いました。

生きるとは、自分が主人公であること

それから、グループをやり始めたときに考えたことについてもお話ししたいと思います。

それは「生きるとはどういうことか」という問いなんですが、考えを深めていった末、生きるっていうのは自分が主人公だということがわかったんですね。

木曜和田劇場第18回のキャプチャー2

つまり、自分の能力を使うことが、生きることなんです。

自分の意思に基づいて、自分が成そうとすることのために、自分の能力を使っていく。

これが生きるということ。

そう考えていくと、介護施設って“生きる”を支援する存在になってないんじゃないかな。

座っていたらなんでも出てくるといったように、“生かされる”ことはあったとしても、生きる支援にはなっていないかなぁ。

やっぱり「生きることを支援する」っていうふうに考えていくと、ご本人が主人公で主体なんです。

ここで言う主体とは、意思や能力を自分が生きるために活かされてるっていうことですね。

だから、その意識の延長線として「何を食べるか」や「何をして過ごすか」といった問いかけをするんですね。

そのように主体としてかかわることで、人間ってどんどん力を発揮するんだなぁということがわかってきたんです。

「グループホーム」の研修、「選択」というテーマ、そして「和田さん」って言ったら、イコール「食事づくり」みたいに考えやすいんだけども、そういう短絡的なことではないんです。

その場その場で自分の意思や能力が活かされ、発揮される、そんな場面が暮らしの中にどれだけあるかを考えることが大事なんじゃないかなと思いますね。