「介護対談」第26回(前編)飯塚さん「介護現場の人たちがもっと、自分の言葉で、自分のやっている仕事を語れるようにしないといけない」

「介護対談」第26回(前編)ノンフィクション作家の中村淳彦さんと飯塚裕久さんの対談飯塚裕久
1975年東京生まれ。東京医科歯科大学で学ぶ。母の経営するケアワーク弥生を経て、2006年小規模多機能型居宅介護事業所「ユアハウス弥生」へ。介護業界の課題を解決したいと考え、2010年にNPO法人「もんじゅ」を立ち上げる。現在は、介護業界で働く人が集まる「もんじゅミーティング」を全国各地で実施している。小規模多機能型居宅介護事業所「ユアハウス弥生」所長。NPO法人もんじゅ代表理事。
中村淳彦中村淳彦
ノンフィクション作家。代表作である「名前のない女たち」(宝島社新書) は劇場映画化される。執筆活動を続けるかたわら、2008年にお泊りデイサービスを運営する事業所を開設するも、2015年3月に譲渡。代表をつとめた法人を解散させる。当時の経験をもとにした「崩壊する介護現場」(ベスト新書)「ルポ 中年童貞」(幻冬舎新書)など介護業界を題材とした著書も多い。貧困層の実態に迫った最新刊「貧困とセックス」(イースト新書)は、鈴木大介氏との共著。

取材・文/中村淳彦 撮影/編集部

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仕事をキチンとやったら、介護の仕事は楽しくなる。僕は若い人たちをキラキラさせたい(飯塚)

中村 飯塚さんは小規模多機能居宅介護事業所「ユアハウス弥生」所長、NPOもんじゅ代表理事、KAIGO LAB SCHOOL副学長と、様々な活動されている。で、今日は成り行きで登場して頂くことになり、初めてお会いします。で、僕個人はずっと飯塚さんのことは嫌いだったんですよ。本腰で批判する介護ポエムの中心人物と思っていました。

中村中村
飯塚飯塚

飯塚 僕ね、それを聞いてショックだった。中村さんみたいな人がいるってことは、まあ、結果として「キラキラ」という言葉の使い方を間違えたのかな。言葉は一人歩きするし。

中村 飯塚さんとか、その周辺に嫌悪感があったのは、自分が現場で介護していた時期。NPOもんじゅが注目されていた頃ですよね。

中村中村
飯塚飯塚

飯塚 代表をしているNPO法人もんじゅの取り組みは、介護職をキラキラさせようってコンセプト。僕は若い人たちをキラキラさせたいと思っている。キラキラってどういうことかというと、仕事をキチンとやったら、仕事は楽しくなるじゃないですか。仕事に追いかけられるばかりじゃキツイ。キチンとやるためには知識が必要、その手伝いをしたかった。

中村 今思えば、介護を取材するライターとか、その周辺が無能なんじゃないかと思う。頭がお花畑というか。熱い思いとかやりがいとか、とにかく具体性のない綺麗な言葉を無責任に使いがち。今もそうだけど。

中村中村
飯塚飯塚

飯塚 当時は介護の3Kといわれていた時代。男性が介護職員になると貧困で結婚できないなんて放送がNHKから発信されていた。歴史的にみると、2008年に「介護保険を持続・発展させる1000万人の輪」ができ、処遇改善交付金につながるわけ。政治的論調も介護はひどいから給料を上げようなんて運動が始まった。それが行き過ぎていた。カウンターとして美辞麗句のような言葉で、世論を振り戻す必要があったと思う。

中村 現実がともなっていれば仕方ないけど、僕が経験した介護業界はもう崩壊寸前で荒れまくり。結局、当時ポエムをまき散らしていた飯塚さんとも縁のある介護フランチャイズ某社は、虐待とか不正請求とかブラック労働で大問題になって、2016年度ブラック企業大賞受賞という結末。ポエムが産業に蔓延するのは、労働集約型の儲からない低賃金の職種が多い。介護と相性がよすぎた。

中村中村
飯塚飯塚

飯塚 言葉は広がるほど、独り歩きする。それは実感していて、いつか自分の言葉ではなくなる。実際の自分自身より、キラキラ、熱い思いみたいな言葉が先行したのは、まあ、それはミスだったかも。その話になるなら、まず介護ポエムの説明をしておいたほうがいいんじゃないの。

中村 まあ、介護ポエムとは「やりがい、夢、成長、熱い思い、スイッチオン、介護から日本を元気にする」とか、それに「キラキラ」とか。抽象的な美辞麗句を駆使した人材マネジメントのこと。僕が介護にかかわった2008年くらい、飯塚さん筆頭に介護フランチャイズ創業者A氏とか、ベンチャー経営者で団体商法B氏とかが介護業界のスター。彼らは自信満々にひたすらポエムを口にしていた。

中村中村
飯塚飯塚

飯塚 結局、のちにポエムだの、ブラック搾取だのって批判されているからね。僕は介護フランチャイズを経営している人とも仲良くさせてもらっているけれど、商売などの利害関係はないし、一緒にしないでほしいなあ。

中村 そうですね。それは気になります。

中村中村

「キラキラ」という言葉だけで、世間はポエム扱い(飯塚)

飯塚飯塚

飯塚 NPOもんじゅの目的からいうと、こんな崩壊するような社会保障の現場に挑戦しようとしている若者が一部にいるわけ。その若者たちは社会保障が崩壊していくことはわかっている。それなのに挑戦する彼らが学ばないまま時間が過ぎてしまったら、本当に死んじゃう。なんとか彼らを死なないようにしてあげたいという目的だったの。

中村 なるほどね。飯塚さんは優秀な若者に特化した人材育成は役割だと思い、実際に非営利で実行していると。ずっと一部の行政とか専門学校とか介護業界人は、介護に若者を引き込もうと必死に綺麗ごとを言うけど、その責任をとるつもりあるのかな。若者を引き込んで殺しちゃったら、大変な問題だよね。

中村中村
飯塚飯塚

飯塚 もんじゅは2007年に立ち上げた。優秀でキチンとやってきた若者を、絶対に悪いようにしたくない。それだけ。当時、認知症介護は全然できていなくて、高齢者は解放されていなかった。一部、認知症高齢者に自由を獲得してもらおうとしたのが和田行男さん。和田さんは認知症のおばあちゃんと介護職員が向き合うのは、すごくツラいと。けど、一生懸命やった結果、おばあちゃんたちが少しでも自由になれてよかったと。そのとき和田さんが介護職員は「キラキラとする」って言ったの。その言葉をもらったのが「キラキラ」のはじまり。

中村 一生懸命仕事をして利用者さんに価値を提供して、インパクトを与えられた結果のことをキラキラって定義したわけですね。

中村中村
飯塚飯塚

飯塚 でもキラキラって言葉が、ポエムだと言われちゃうわけでしょ。介護が二極化して下層だけ、陰の部分だけをルポする中村さんみたいな人が出てくると思わなかったし、誤解される結果になると、言葉使いは少しミスしたかなって。本心としては介護現場の人たちがもっと、自分の言葉で、自分のやっている仕事を語れるようにしないといけない。現場に言葉を与えてあげたいというのも、もんじゅの大きな目的の一つだった。

中村 良いことをしても、多くの介護職は他人に説明できない。説明したとしても、具体性に欠けるとか、つまらないとか。介護にかかわってキチンと仕事をしている人は言葉を獲得して、さらに重要なことは面白く伝えること。面白くないと誰も耳を傾けないし、第三者に伝わらない。現場に言葉を与えるアクションは、ぜひ継続してほしいですね。

中村中村

お泊りデイは助け合いのために地域の人が集まって「よりあい」と呼ばれたのが始まり(飯塚)

飯塚飯塚

飯塚 もんじゅを始めた頃、介護フランチャイズの経営者に出会っている。みんないい若者だった。彼らと僕が違うのは、僕は3代目なので生活の基盤がある。だからお金にはあまりガツガツしない。要するに余裕があった。だから当時、労働と価値の等価交換性みたいな感覚が好きで、介護の仕事をはじめて、美しいと思ったのは、価値の等価交換性にチャレンジができるんじゃないかって。

中村 等価交換というのは仕事をして、誰も得も損もしないってことね。例えば営業職は詐欺に近いほど優秀と言われるけど、言葉巧みに著しく高く買わされるみたいなことがないと。

中村中村
飯塚飯塚

飯塚 介護が実際に等価交換かわからないけど、少なくとも、もっと儲けようと思ったらこの業界じゃなくていい。この業界でガンガン儲けようって人はいない、だからみんな人がいい。経営マッチョみたいな奴とタフな交渉したり、駆け引きする必要がない。だから、すごく居心地がよかった。

中村 僕は無知のままお泊りデイに手を出して、等価交換とは遥か遠い世界だった。個人的な感覚では、お泊りデイは高齢者の家族はいいかもしれないが、高齢者が少し、職員と経営者が大きなババを引くシステム。被害かどうかは微妙だけど、少なくとも等価交換から遠く離れている。不幸な職員は何千人単位で現存している。

中村中村
飯塚飯塚

飯塚 僕もお泊りデイは、最初から大きな問題を抱えていると思っている。介護保険が始まる前、お泊りデイなんて造語はなくって、日本各地で、有名なところだと九州からはじまったの。地域で隣のじいさんが危ない状態だから、うちで面倒をみようみたいな。地域の助け合い。町内会もじいさんを遠くの病院で死なせるわけにはいかないって、地域の人たちがみんな寄り集まって。「よりあい」って呼ばれた。それが始まり。介護保険は使わないって自主運営した。デイサービスの概念はそこにはない。

中村 九州で起こった創世記の話は聞いたことがある。宅老所が地域の拠点になって住民が集まって、大きな家族のようなコミュニティーが形成されたという。

中村中村
飯塚飯塚

飯塚 すごく良いことをしているわけ。医者まで集まって。自然発生的にコミュニティーができた。その宅老所はギリギリの運営で、給料はみんな安い。それで介護保険が始まって厚労省がデイサービスにした。日中の時間帯だけお金をあげましょうとなった。それで「よりあい」がデイサービスになった。これがお泊りデイのモデル。

中村 民家改修型だから投資も少ない。創世記は低投資で社会資源をフル活用して、地域を巻き込み、貧乏ながら最高の形で機能していたわけですね。宅老所の美談話はよく記事になっていたし、たくさん書籍にもなっている。

中村中村
飯塚飯塚

飯塚 そこで介護フランチャイズの経営者たちは、「それ儲かるよね」ってなったわけ。町内会をまとめてみたいなプロセスを踏まず、フランチャイズ展開した。素晴らしかった宅老所は、多くの介護関係者や厚労省が頭を抱えた悪しきお泊りデイビジネスになってしまった。

介護で働こうって腹をくくったとき、ブラックなことは絶対にダメだって強い覚悟があった(飯塚)

中村 飯塚さんが小規模多機能型居宅介護「ユアハウス弥生」を作ったのは、2006年に制度化されてすぐ。小規模多機能居宅介護も、地域で機能した宅老所の流れですよね。

中村中村
飯塚飯塚

飯塚 そう。小規模多機能型居宅介護の精神は、よりあいからの宅老所の流れがある。宅老所をもっと制度化しようってこと。要するに地域でみんなが寄り集まって通い、泊り、訪問も制度化したらもっと経営が安定するだろうって。小規模多機能型居宅介護の制度化は、地域密着型の事業所が増えるだろうって厚労省の目論見があった。

中村 2006年。お泊りデイの本格的なビジネス化と、小規模多機能型居宅介護の制度化は時期が重なってしまった。お泊りデイは低投資高利益、小規模多機能は高投資なのに介護報酬が安かったことで敬遠された。伸び悩んだ。

中村中村
飯塚飯塚

飯塚 宅老所からの流れの小規模多機能居宅介護の精神に賛同して、自分でも運営した。いい宅老所を見学に行くよね。その頃、お泊りデイの介護フランチャイズが伸びていると。当時、その介護フランチャイズは勝手に名前をつけて小規模多機能型通所介護と名乗っていた。小規模多機能型居宅介護と混同するように仕掛けたんですね。

中村 その過程で介護フランチャイズの経営者と出会ったわけね。それで友人になったと。

中村中村
飯塚飯塚

飯塚 そんなビジネスをやっている人間はどういう人だろうって気になった。僕は小規模多機能型居宅介護が日本全国に広まって欲しかった。立ち上げた当時は東京に17カ所しかなくて、都内にもっとたくさんできてほしいって意識があった。とにかく、お泊りデイと競合するわけ。

中村 小規模多機能型居宅介護は様々な基準が厳しく要求されている。お泊りデイが民家改修型で利用者が男女混合で雑魚寝なんてありえないだろうってなる。さらにお金はけっこうもらっている。まさしく隙間産業で、正統派と対立するのは当然のことですね。

中村中村
飯塚飯塚

飯塚 しかも安全じゃないし無理でしょうって。それで最初は対立した。そのフランチャイズの経営者と会って話をしようってなって、まあ、友達になった。そういう理由で僕は今でも彼がやっている事業は大嫌いなの。ただね、僕は学生時代言えないようなバイトをした経験があるの。変な金儲けをしたって自覚はあって、介護で働こうって腹をくくったとき、ブラックなことは絶対にダメだって強い覚悟があった。だから、ホワイトを貫いているつもり。だからもう一人の自分の姿が、彼なんだろうと。だから仲良くなるわけ。

中村 介護フランチャイズの経営者たちはやりすぎた。2012年あたりから大手マスコミ、労働組合、野党に社会保障を荒らし尽くしたブラックな人物としてマークされている。要するに言っていることとやっていることが違いすぎて、国をあげてブラック視された。上場企業に訴訟も起こされたし、まさに八方塞がり。彼らの現在の状況は、飯塚さんはもう一人の自分を写す鏡として想定内だったってことになるね。業が深い話だな。

中村中村
飯塚飯塚

飯塚 まあ、そうだよね。宅老所、お泊りデイ、小規模多機能型居宅介護の話は、もうちょっと続けましょう。

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