「介護対談」第48回(前編)原田 匡さん「お泊りデイは事業採算という意味ではかなり秀逸なものでした」

「介護対談」第48回(前編)ノンフィクション作家の中村淳彦さんと原田 匡さんの対談原田 匡
株式会社ケアビジネスパートナーズ代表。京都大学法学部を卒業後、父親と共に会社を設立したが、31歳のときに株式会社ベンチャー・リンクに転職。3年半ほどフランチャイズの本部構築に携わった。その後、大企業を取り扱うコンサルティング会社に所属し、2006年にコンサルタントとして活動を開始。2015年5月に株式会社ケアビジネスパートナーズを設立。現在は介護に特化した経営コンサルタントとして、年間200回もの経営セミナーを開催する。
中村淳彦中村淳彦
ノンフィクション作家。代表作である「名前のない女たち」(宝島社新書) は劇場映画化される。執筆活動を続けるかたわら、2008年にお泊りデイサービスを運営する事業所を開設するも、2015年3月に譲渡。代表をつとめた法人を解散させる。当時の経験をもとにした「崩壊する介護現場」(ベスト新書)「ルポ 中年童貞」(幻冬舎新書)など介護業界を題材とした著書も多い。貧困層の実態に迫った「貧困とセックス」(イースト新書)に続き、最新刊「絶望の超高齢社会: 介護業界の生き地獄」(小学館新書)が5月31日に発売!

取材・文/中村淳彦 撮影/編集部

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お泊りデイは事業採算という意味ではかなり秀逸なものだった(原田)

原田さんは株式会社ケアビジネスパートナーズ代表で、介護事業に特化したコンサルをやられています。で、最初に介護に関わったのは、大手介護FCのA社の本部構築だったとか。A社に関しては僕個人が批判記事を繰り返した過去もあり、この連載でもたびたび話題にあがります。原田さんには申し訳ないですが、聞いてしまった以上、ちょっと触れざるを得ないです。まずは簡単に自己紹介をいただけますでしょうか。

中村中村
原田原田

はい、どうぞどうぞ、何でも聞いてください(笑)。まず経歴としては大学卒業後、どこにも就職せずにそのまま父親と一緒に会社をゼロから起ち上げ、その後、自分なりに思うところがあって31歳の時に父親と袂を分けてコンサルティング業界へ転進。ベンチャーリンクという会社に入社しました。そこで主にFCの本部構築業務で約3年半、その後、大企業向けのコンサルティング会社に1年弱所属。2006年から知人の事業創業に参画し、コンサルタントとして活動を開始しました。

ちょうどその頃にA社から呼ばれたんだとか?

中村中村
原田原田

そうですね。そのときA社から依頼をもらい、デイサービスFCの本部構築に関わった、というのが流れです。今でもはっきり覚えていますが、「多店舗展開に潜む“光”と“影”」というタイトルで、事業拡大をしたい経営者向けのセミナーに知人の紹介で出会ったところからが始まりですね。2007年から約1年間くらいですね。その後はA社のFCに自らも加盟し、自ら作成に携わった契約書に記名捺印するという形でスタートしました(笑)。

原田さん自身も加盟店に参入したのですね。

中村中村
原田原田

そうです。A社の展開するデイサービスを2事業所起ち上げました。その後、どっちが正しい・間違いということはありませんが、A社とは事業に対する考え方に乖離が生じて私はチェーンから離脱。以降は屋号転換し、独自ブランドとしてデイサービスを2015年2月まで経営していました。また、それらと並行して2010年からは介護事業者向けのコンサルを始め、現在に至っています。

A社はお泊りデイの大手、原田さんが関わった初期は本当に勢いがあった。順風満帆と思われたが、経営陣の怠慢や判断ミスでさまざまなトラブルが起こり、大手報道機関も敵に回してしまった。最終的には国が動いて2015年改定がトドメになり完全に終息に向かっています。介護FCの先駆けだったA社、それとブラック労働の温床となったお泊りデイに関しては、完全に失敗という結末です。

中村中村
原田原田

凄い、直球の発言ですね…(笑)。でもどうでしょうか。中村さんのその結論には、個人的には賛同しかねる部分もありますね(苦笑)。結果から見れば、確かにFC本部としてはいくつかの致命的な過ちを犯してしまったこともあるかもしれません。その部分については私も中村さんがおっしゃる内容に同意できるところがある。でも、だからと言って「すべてが失敗」と一刀両断に結論づけてしまうことには納得しかねますね。

僕の認識としてはかなり多くの人がA社に騙されたと感じているはず。上手く経営している方が珍しいと思いますよ。

中村中村
原田原田

中村さんから言わせれば、ごくわずかな例なのかもしれませんが、A社に加盟している私の知人の経営者は、今年(2017年)にもFCとして事業所を新たに増やしていますし、他にも「本部には本当に感謝している」と今でも言っている加盟企業も実際にいる。また、「ブラック労働」という言葉も出ましたが、それは各々の加盟企業における労務管理上の問題でもあり、それを「本部のせい」とすることに対してはFCビジネスの根本の考え方としてどうも違和感を感じてしまいますね。(ブラック労働につながるような)運営をしなさい、と本部が強制的に指導していたのであれば別でしょうが、少なくとも私がチェーンの一員だった数年間はそんなことはありませんでしたし、恐らく中村さんと被る時期でもあったのではないでしょうか。

確かに原田さんがおっしゃるような加盟企業もいるのかもしれませんが、A社の稚拙な経営により数多くの犠牲者が生まれ、本部の未熟な立ち振る舞いが社会的に受容されなかったのも事実です。特に、2014年に虐待事件が週刊新潮に報道されたことから崩壊が始まった。不正請求、上場会社によるM&Aの契約破棄など、さまざまな問題を起こした。それまでメディアに出まくっていた経営陣は、問題が起こってからは一切表にでることはなく、経営陣は続々退社して逃げてしまった。ネガティブな問題が続出したのは、原田さんが離れて3年後くらいからです。

中村中村
原田原田

私自身、離れて以降のA社については詳しくは存じ上げず、気になりつつも離れた人間として傍観していた、というのが正直なところなので無責任な事は言えないのですが、確かに中村さんがおっしゃるような側面も事実としてあったのかもしれませんし、私もメディアを通じて知ってはいました。何より中村さんご自身の、FC加盟企業としての許せまじき実体験が根底にあるのでしょうね。

A社は2007年夏くらいから、お泊りデイを本格的に介護FCとして売りだした。当時は民主党時代ですさまじい不景気、初期投資の回収が非常に早いビジネスモデルは注目された。飲食業者を中心に介護とはまったく関係ない零細企業の参入が相次ぎ、急激な勢いで拡大した。売上も鰻登りで、本部はどんどん大きくなった。

中村中村
原田原田

確かに。その点は私が関わっていた時期から同様の状況でしたので、関わっていた人間としてお話できるところはいくつかあるかもしれません。おっしゃる通り、お泊りデイは初期投資の回収が非常に早く、事業採算、という意味ではかなり秀逸なものでした。が、一つひとつの事業ユニットがとても小さく、かつ、初期投資も数百万円で済むような程度のビジネスサイズだったので、極論、経営経験のまったくない、サラリーマンからの独立組のような方でも十分に取り組めるモデルでした。ただ、“介護”という社会的に注目されている業態だからこそ、本部として責任を持てる形での事業拡大を描く必要がある。「誰でも入ってください」という事業にしてはいけない、と当時は考えていました。

経営は唯一絶対の解があるわけではない(原田)

2007年の本格的な展開の直前にはコムスン問題があった。株式会社の介護とお泊りデイか合法なのか、という逆風があった。でも待機老人の需要と儲かるビジネスモデル、それと底なしの不景気がマッチして猛烈な勢いで拡大し、経営陣が目先の利益に溺れたのが失敗の引き金。介護業界を牛耳ろうって勢いで急拡大しすぎましたね。

中村中村
原田原田

牛耳ることが目的だったかどうかについては疑問が残りますし、お泊りデイは今も決して非合法のモデルではない、ということについてはここではっきりと否定しておきたいと思います。ただ、短期間で急拡大し過ぎてしまい、確かに経営が素人のFC加盟事業所が雨後の筍の如く出現し社会的評価を著しく落としてしまった、という側面はあるのかもしれません。

たしかに非合法ではありませんが、経営に失敗するであろう人もどんどんFC加盟させていくのはあまりにも酷な気がします。当時の経営陣はどのようにFC事業を拡大させていくつもりだったのですか?

中村中村
原田原田

私が関わっていた当時、“本部として責任が持てる形”として個人的にイメージし、本部に提案・合意していたのは、吉野家のような事業拡大方式でした。これは以前、郊外都市の吉野家加盟企業の経営者から聞いた話ですが、倒産から復活した吉野家がFCに再度取り組もうと考えたとき、以前の失敗(=本部の能力を超える急拡大を行ってしまい、加盟企業とのもめ事が発端となって黒字倒産してしまった)を踏まえ、二度と同じことを繰り返さないためにも「このエリアでの吉野家の展開はお宅に任せたい」と思えるしっかりとした地域密着の地場企業を地域ごとにピックアップし、その一社づつにアポを取り、「ぜひ、共に吉野家事業に取り組みませんか?」と口説いてまわったそうです。

吉野家方式を取り入れて、その地域を1社に担ってもらう、ですか。結果的にそうはなっていないような気がしますが、どうでしょう?

中村中村
原田原田

吉野家方式というのはすなわち、「(数多くの法人とではなく)しっかりした法人とガッチリ手を組み、その企業に事業としてコミットしてもらい、店舗展開してもらうことで、クオリティを保ちながらチェーンを大きくする」という考え方ですね。 A社の事業展開についても、誰もが取り組みやすいレベルの初期投資及び初期投資回収モデルだったからこそ、コンビニのように「誰でもが取り組める」形には敢えてしない方が良いのでは?と考えていました。でも、結果的には私が考えたような展開にはならず、同一商圏内にさまざまな加盟企業が混在するような方針を彼らは決定した。

加盟店と強固な関係を作るのはFC事業者には重要ですね。単に競争を煽る形を取れば蹴落とし合いが始まり、客の取り合いが起こる。それがきっかけで原田さんは事業所を手放したのですか?

中村中村
原田原田

個人的には残念でしたし忸怩たる想いでしたが、でも、この事業のオーナーシップを持ち、全ての責任を背負っているのは彼ら。そのような経緯から幾度か話し合いの場を持ちましたが、結果的に方向性が一致することは難しく、「考え方が違う人間がチェーンの中にいては本部としてもやりにくいだろうし、私や当社の職員にとってもプラスにはならない」と考えチェーンから脱退した、というのが経緯です。 ただし、自ら作成した契約書に抵触する行為なので、ケジメとして違約金はキッチリ支払いましたよ。しんどかったですけど(笑)。

僕も事業所を手放すまでしんどかった。本当に振り回されました。

中村中村
原田原田

ただ、言い訳っぽく聞こえてほしくないんでが、あくまでこれは私の個人的見解であり、A社からすれば私の意見に対して異を唱えたいこともあるかもしれません。また、私が正しくて彼らが間違っていたとか、そういう単純な話でも絶対にない。唯一絶対の解があるわけではないですものね、経営って。さまざまな問題をはらみながらかもしれませんが、異なるオーナーを近隣地域に混在させる方式であっても、セブンイレブンのように確たるチェーンを築いているケースもある。要は、どちらの方向であっても良いチェーンを確立する方法は存在している、ということだと私は本気で思っています。

原田さんがおっしゃる、吉野家のような方式であれば確かに良かったのかもしれませんね。でも、A社の周りにいた多くのコンサルは介護とはまったく関係ない零細企業をどんどん介護事業者にした。介護は素人が運営できるような業種ではないので、ブラック労働が蔓延、次々に介護職を潰し、世間に異常な悪評がたつまで業界は悪化した。それは、FCやコンサルが素人経営者を続々介護に引き込んだことが大きな原因です。

中村中村
原田原田

今の話を受けて一つ、ハッキリ言えるのは、彼らは意図的に異業種経営者を介護業界に引きこもうとしていた、ということです。A社の創業者はFCという仕組みを本格導入する際、私にこんな想いを語ってくれました。「これからの介護業界には経営面におけるさまざまな“イノベーション”が必要となる。それを実現するためには従来の介護業界の固定概念にとらわれない、自由な発想で“顧客”志向を追及する異業種経営者の力が必要だ。だからFCという方法を採りたいんだ」と。

なるほど。そこに共感をしたからA社に協力した流れなんですね。

中村中村
原田原田

そうですね。ですが、実は相談をもらった当初、私は「直営での展開の方がリスクが少ないですし適切ではないですか?」と話したことがあります。しかし当時、彼は彼なりに、(前述を含めた)確固たる信念を持っていた。少なくとも私はそう感じました。そして、その意見に私は納得し共感を覚えたので「では、喜んでお手伝いさせていただきます」と引き受けさせてもらったんですよね。その後については先ほども話しましたのでこれ以上は繰り返しませんが。

しかし、A社は本当にひどかった。ブラック社会保険労務士を経営陣に引き込み、小手先で理論武装して介護職に32時間労働をさせるとか、人件費率40%以内で、オーナーは30%儲けようとか。今では考えられないことを推奨していた。結果、精神疾患になる職員が続出して無茶苦茶なことに。それでも、自分たちだけはすべて正しいという姿勢を崩さなかった。

中村中村
原田原田

私は中村さんがおっしゃったような指導を私は本部から受けた事は一度もありません。「私のところへの経営面での指導は、基本的には不要です。介護の専門的な内容やコンプライアンス等、質問したい時にはこちらから連絡します。それより、他の加盟企業の支援に回って下さい」という趣旨のことを開設当初、本部の担当者に伝えましたね。

たしかに。原田さんには不要かもしれませんね。

中村中村
原田原田

なんせ元々は本部の支援をしていた立場の人間でしたから、それくらいの気は遣いましたね(笑)。だから、自分なりに事業モデルを咀嚼し、それこそ社労士の先生と共に、ブラックとまでは言わないまでもグレーな点については自社ですべて決着させ、その内容については本部に一つひとつフィードバックしていました。結果、人件費は他のFC企業と比較しても高くなりましたが、稼働率を高めることで利益は十分出せていましたよ。もちろん精神疾患の職員など出ませんでした。スタッフに恵まれた、という側面もあるのかもしれませんが。

経営支援の仕事は相手のことを本気で考えながら、一緒にどこまでできるか(原田)

原田さんの現在という本題に入る前に、このようにA社のFCのことに触れるのは、当時の不正まみれ、国を巻き込んだ絶望的な混乱を生んだ経営陣の張本人が現在進行形でまだ介護業界の超中心にいるからです。正直、ヤバイでしょう。原田さんは初期の本部構築にかかわって2年程度で辞め、その後に入れ替わるようにA社に入った人物がいるのですが、どう考えても彼はとんでもないですよ。

中村中村
原田原田

中村さんがおっしゃっている方は私も詳しくは存じ上げないものの、一応は知っています。私が元々サラリーマンとして働いていた会社で同じだったみたいです、当時は部門も違ったので知りませんでしたが。確か、僕がチェーンからの離脱を決める前後にA社の経営陣に入った記憶があります。

自分の利益のためなら手段を選ばないし、社会保障の救世主というブランディングをして、今はタレント事務所かなんかに所属して文化人気取り。マジで勘弁してほしい。彼がこのままモンスター化したら「介護業界だけでなく、もしや日本が危ない」と警鐘を鳴らさざるをえないですよ。

中村中村
原田原田

彼の個人的な評価については先ほど申し上げた通り、よく存じ上げないのでノーコメントとさせていただきますが、それにしても中村さん、手厳しいですね(笑)。彼とは私が卒業する前に一度だけチェーンのあり方について議論した記憶があるのですが、話が今一つかみ合わなかったことだけはなんとなく覚えています。

原田さんの元いた有名コンサル会社の出身者は、まあ数名ですが、本当に一時期の介護を悪い方向に動かした。一時期は被害者の会みたいな動きもあったし、間違いなく影響力は大きかった。

中村中村
原田原田

古巣のことを悪く言うのは主義ではありませんし、良いところも沢山あったので控えますが、でも、一般的には、特に中小企業の経営支援を実践経験の乏しい、例えば新卒のコンサルタントのような人が担うのは難しい部分があるような気がしますし、コンサルタント本人にとっても荷が重いでしょうね。学べばある程度のことは言える。知識を伝えるとか、ノウハウを伝えるみたいなことは言えるかもしれないけど、本当にオーナーさんの立場に立ち、どんな苦しみの下、真剣に取り組んでいるかってことに対してはなかなか共感できない。

本当に苦しい状況ですよ。あの体験をしてない人にコンサルしてもらっても、高みの見物としか受け取れない。

中村中村
原田原田

自ら同じような苦しみを味わった訳ではないですから、根本的には難しい。もちろん、中には優秀な方もいて、オーナーの心に本気で寄り添い、共感・信頼し合える関係を構築されているコンサルタントも実際に相当数いましたが、それでもやはり全員とまではいかないかもしれません。ただ、今までの会話と同じですが、一刀両断に「悪い方向に動かした」という指摘については「NO!」とはっきり否定させていただきます(笑)。

特に、FCは本部と事業所が利益相反の関係になりやすい。自分が裕福になりたい欲深かったA社経営陣が徹底的にやってくれたことで、本当にトラブルまみれになった。早々に崩壊状態となって介護参入ブームは去った。結果的に猛烈な勢いでやってくれたから早期解決となって、よかったと思える部分もある。

中村中村
原田原田

確かに誤った方向へ進めば、FCモデルは利益相反に陥ることもありますし、実際、多いですよね。シンプルな話、その関係になったら最終的には断絶関係にしかならない。私たちのような経営支援の仕事も、自分たちの利益を優先してお金をもらい続ければ絶対に契約解除となる。だから相手のことを本気で考えながら、一緒にどこまでできるか。それを真剣に考えないと、もう当たり前に終わりが来ますよね。

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これからはもっと自らの力で稼いでいく手立てを考えていく必要がある(原田)

原田さんは2010年にA社を離れた。その後、株式会社ケアビジネスパートナーズを設立されています。

中村中村
原田原田

はい。元々A社に出会うまでは全業種対応で、中堅中小企業から大企業に至るまでのさまざまな経営支援をさせていただいてきました。しかし、A社とのご縁から介護事業に出会い、その後、全国の事業者を訪問させていただいたり、社会福祉の大学院に通ったりなどを通じて学びを深める中で、いつの間にか介護業界に取りつかれてしまいました(笑)。その上で、自ら事業所を展開・拡大していく方向で事業を伸ばしていくか、あるいは経営支援にウェイトを置くか、と考えたとき、後者の方が自分の性格にも合っているし、生意気ですが、それなりの独自価値もしっかり提供できるんじゃないか、と考えたんです。逆に言えば、事業所の経営については私よりもっと上手に経営できる方がたくさんいらっしゃる、とも言えますし、事実、間違いなくそうなのですが(笑)。

いくつもの業種のコンサルを経て、介護事業所の経営経験があれば相当強いかもしれませんね。

中村中村
原田原田

そうですね。自らの介護事業経営経験を通じて実体験として体得したこと、父親と二人で本当に苦しみながらもなんとかゼロから事業を起ち上げることができたこと、そして、今まで他業種含めて数多くの経営支援に携わる中でさまざまなことを学び、培ってきたこと。それらをハイブリッドにして世の中に伝えていくことが今後、“経営”発想がますます求められてくる介護業界の中では役に立つんじゃないか、と。

介護経営セミナーを多いときで年間200回、平均で150回ほどは開催しているとか。介護保険や事業所運営を不安に思う経営者が凄まじく多いってことですね。原田さんが経営者に言うのは、おおまかには、介護保険に依存し過ぎるな、ということ。社会保障費の削減が政府の重要課題になっているし、このままの状態で介護保険が継続しないことは、おおよそ誰でもわかっていることです。

中村中村
原田原田

言うまでもないことですが、私は「介護保険事業から手を引きましょう」と申し上げているわけでも何でもありません。ただ、日本の未来を客観的に考えた場合、介護事業者の収益の柱となっている介護報酬が右肩上がりで上がっていくことはまず考えられない。もちろん、質の高い経営を行う事業者を積極評価する、という観点からさまざまな加算などが今後も設定されていくかとは思います。それでも基礎報酬部分については基本的には低減されていく可能性が高い。そんな中、介護報酬に依存する経営体質では、特に規模が大きくない事業者は本当にすぐに限界がきてしまう。だから「介護保険ありき」ではなく、もう少し引いたところから今後の経営を見つめ直していく必要があるのではないでしょうか、ということを、少なくともセミナー活動を開始した7年ぐらい前から申し上げています。

零細経営者は、人手不足の中で目先の現場を乗り切ることで精一杯。介護保険がこのまま継続しないことを理解していても、一歩を踏みだす余裕がないのでしょう。今日明日を乗り切ることで一日が終わってしまうというか。

中村中村
原田原田

たしかにそのような状況にある事業所はかなり多いですよね。私も全国各都道府県にお邪魔させていただく中、そのような経営者に会うことも多くそのたびに危機感を感じています。だからと言って、残念ながら誰かが救済してくれるわけではない。難しいことは百も承知の上ですが、やはり、自らで切り開いていくしか道はないですし、厳しい物言いかもしれませんが、それが経営者としての役割であり使命だと思います。良い意味で、これからはもっと自らの力で稼いでいく手立てを考えていく必要がありますよね。十分可能だとも思いますし。

とりあえず、前編はありがとうございました。ちょっと個人的に関心が深かったFC問題を深く聞いてしまって申し訳ないです。後編は、「これから介護経営はどうすれば良いのか」を教えてください。

中村中村
原田原田

とんでもないです。中村さんのような方には今までお会いしたこともなかったので、逆にとても新鮮でした(笑)。

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