制度で”線引き”なんてできないのが地域というもの

2006年に地域密着型事業ができて、ますます役人たちにも言ってるんですけども、地域密着っていうのは、本当は「保険」じゃ密着じゃないはずだと。

つまり、地域っていうのは線引きがないんですね。

地域というのは、共属感情を持つ人々の一定の範囲だから、そこに明確な線引きはない。

保険で”線を引いている”のはいわゆる“市区町村”という区分の線引きだから、地域密着ってなったときに、保険の制度上で市区町村に密着するっていうのはおかしいと僕は思う。

やっぱり「ちゃんとその方の生活の場があって、そこでどんどん共属感情が生まれて、それからはじめて地域社会生活の場になっていくんじゃないの?」っていう話をよくしてたんですけども。

地域を考えるうえでは、まずここの整理が必要かなと思ったんですね。

現在の介護保険事業は人と人の関係を分断している

それをグループホームに置き換えると、無理やり引っ越しさせられた挙げ句、その施設に閉じ込められたままだったら共属感情は深まらない。

景色も見られない、聞き慣れない、嗅ぎ慣れない。

共属感情をどんどん深めていくということがつまり、地域社会生活。

地域住民のひとりとしてそこで生きていくということを考えたら、そこに閉じ込めておいたのでは絶対にできないです。

そういう共属感情を持った関係がないのに、支えてくれっていうのは無理。

関係があってはじめて「支える」ができる。

結局、人間関係でしょ?

人と人との関係を強めていくことによって、そこに関係ができていくことによって、この関係のなかで人は「なんとかしてやりたいなあ」とか、「なんとかしようかな」ということになるわけだけども、介護保険事業っていうのは人の関係を分断する。

ぶった切る。

つまり、閉鎖的な空間に放り込まれていくということですね。

関係ができていないんだから、助けてって言われても助けられない

人と人の関係を極めて作りにくい、あるいは作ってこなかったのがこれまでずっと続いてきた介護事業かなって。

例えば、特別養護老人ホームなんかわかりやすいですね。

仕組み的に地域社会と交わるような仕組みになってないですからね。

それを仕組みとしてぶっ壊したのがグループホーム。

なにをぶっ壊したかっていうとすごく簡単で、生きていくために欠かすことができないことのひとつに 「食う」があるじゃないですか。

その「食う」を特別養護老人ホームの場合は、このなかで完結しちゃうような仕組みになってるでしょ?

ここの栄養士さんが考え、ここに食材が届けられ、ここの厨房で作られ、ここの利用者は食うだけです。

一方のグループホームは地域住民のみなさんとどんどん関係ができていくんですけど、そういうことをまったく意識していない人、考えていない人はグループホームといえどもそういうことをしてないわけですね。

せっかくそういう仕組みになっているのにもかかわらず、そういう実践をしない。

このなかに閉じ込めちゃって、関係を作らないっていうことになると、なんかあったときに俺らのこと助けてくれって言ったって関係ないものは助けない。

関係があってはじめて、「助けようか」っていうことになると思うんですね。